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【研究ノート】現代美術と著作権2001-2025――EU追及権、Deckmyn、Richard Prince、そしてWarhol Foundation v Goldsmith以後

  • 執筆者の写真: Arts&Considerations
    Arts&Considerations
  • 3月7日
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更新日:3月7日


 
 

2001年以降の現代美術と著作権の関係を論じる際、まず想起される制度の一つが、EUにおける追及権である。追及権とは、美術作品が初回譲渡後に再販売される場面で、一定の条件のもと著作者が再販売代金に応じた報酬を受ける権利であり、EUでは Directive 2001/84/EC、すなわち2001年9月27日付「原作品の著作者のための追及権に関する欧州議会・理事会指令」によって域内ルールが整備された。加盟国は原則として2006年1月1日までにこれを実施すべきものとされ、指令は、適用対象となる「original works of art」、最低価格閾値、逓減料率、受益者などを定めている。EU法上の追及権導入の背景には、著作者保護だけでなく、加盟国ごとの制度差による域内市場の競争条件の歪みを是正するという内部市場政策上の目的もあった[1]。

もっとも、現代美術の制作実践という観点からみると、追及権は重要ではあっても、2001年以降の著作権法上の緊張の中心にあったとは言いにくい。より切実だったのは、むしろ既存の作品やイメージを参照し、流用し、変形し、再文脈化して新たな作品を作る自由を、法がどこまで認めるのかという問題である。この観点から見ると、EU司法裁判所大法廷の Deckmyn 判決と、アメリカで Richard Prince をめぐって展開した一連の事件、さらに Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. v. Goldsmith 判決は、並べて読むことで現代美術と著作権の争点をはるかに鮮明にしてくれる[2]。

1 EU追及権の基礎――分配の制度としての重要性

EU追及権指令は、対象となる作品を、著作者自身が制作した美術作品や、その限定部数の複製物など、一定の意味で「original work of art」といえるものに限定したうえで、再販売時にプロの美術市場関係者が関与する場合にロイヤルティを発生させる構造をとっている。料率は価格帯に応じて逓減し、指令上の通常料率は、最初の5万ユーロ部分に4%、次の15万ユーロ部分に3%、その後1%、0.5%、0.25%と下がっていく。また、加盟国は一定額以下の取引を対象外とできるが、その最低価格は3,000ユーロを超えてはならない。こうした設計からも、EU追及権が、現代美術の流通市場における著作者の分配参加を制度化しつつ、同時に域内市場の統一ルールを整えようとしたものであることが分かる[3]。

したがって、追及権はたしかに現代美術市場に関する重要制度である。しかし、それは主として「再販売利益分配への参加」の問題であって、作品の制作過程や、画像の引用・流用・転用・パロディといった、現代美術の表現方法そのものに直接答える制度ではない。現代美術と著作権の緊張を、より制作実践に近いレベルで捉えるには、パロディ、アプロプリエーション、フェアユースをめぐる判例法の展開を見る必要がある。

2 Deckmyn判決――パロディは保護されるが、無制限ではない

その代表例が、EU司法裁判所大法廷判決(2014年9月3日、Case C-201/13, Deckmyn and Vrijheidsfonds)である。裁判所は、情報社会指令におけるパロディ例外の解釈に関し、パロディの本質的特徴として、既存作品を想起させること、かつそれと明確に異なることを挙げ、さらに通常理解としてユーモアまたは揶揄の表現を伴うものだと整理した。これは、パロディをあまりに狭く形式化せず、一定の表現上の自由を認める方向を示したものと読める[4]。

ただし、Deckmyn の重要性は「パロディが認められる」と言った点だけにはない。裁判所は、係争作品が差別的メッセージを含む場合には、原著作者側に、自らの作品をそのようなメッセージと結び付けられない利益がありうることも示した。ここでは、著作権の例外規定が、表現の自由だけでなく、人格的利益や社会的利益との均衡の問題として扱われている。現代美術の文脈に引き付ければ、Deckmyn は、単に風刺画やパロディ作品だけでなく、制度批判、政治的アート、既存イメージの転倒的利用といった表現が、どこまで許容され、どこで止められるのかを考えるための重要な座標軸を与えている[5]。

3 Cariou v. Prince――アプロプリエーション・アートはどこまで自由か

アメリカでこれに対応する位置を占めるのが、Richard Prince をめぐる事件群であり、なかでも第2巡回区連邦控訴裁判所判決(2013年、Cariou v. Prince, 714 F.3d 694)は決定的である。事件では、Patrick Cariou の写真集『Yes Rasta』に含まれる写真が、Prince の “Canal Zone” シリーズに取り込まれたことが争われた。第2巡回区連邦控訴裁判所は、地裁が要求した「原作品へのコメント性」はフェアユースの必須要件ではないとし、問題となった30点のうち25点についてフェアユースを認め、残り5点を差し戻した。裁判所は、Prince の作品が、構図、提示方法、スケール、色彩、メディア、表現的性格において元写真と根本的に異なること、そして原告写真の市場を奪う証拠がないことを重視した[6]。 (著作権局)

この判決が現代美術に与えた影響は大きい。フェアユースの第一要素における transformative use の理解が、原作品への明示的コメントの有無よりも、新しい表現・意味・メッセージの生成に重心を移したことで、アプロプリエーション・アートには広い余地が開かれたからである。ポストモダン以後の現代美術の一部にとって、既存イメージの再配置や再文脈化は、まさに制作の核だった。Cariou は、その実践を法的にかなり後押しする判決として受け止められた[7]。

4 PrinceのInstagram作品事件とWarhol Foundation事件――変容性の限界

もっとも、そのような楽観論は長く続かなかった。Richard Prince の Instagram 作品をめぐる紛争群は、単なる再配置や「アート化」によって当然にフェアユースが成立するわけではないことを示唆した[8]。

その流れを決定的に印象づけたのが、連邦最高裁判決(2023年5月18日、Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. v. Goldsmith, 598 U.S. 508)である。最高裁が問題にしたのは、Warhol 作品一般の芸術的価値ではなく、Warhol Foundation が “Orange Prince” を Condé Nast に商業ライセンスしたという具体的利用行為だった。裁判所は、この利用が、Goldsmith の写真と同様に、Prince の肖像を雑誌記事に用いるという実質的に同種の商業目的を持つことを重視し、第一要素は財団側に有利に働かないと判断した。新しい意味やメッセージは考慮要素ではあるが、それだけで決定的ではない、という整理である[9]。

Warhol 判決の射程は慎重に読む必要がある。最高裁自身が、判断対象はあくまで争われた特定のライセンス利用であると明示しているため、Warhol の「Prince Series」全体の創作行為一般について一律の結論を示したわけではない。しかし少なくとも、現代美術の領域で長く強調されてきた「変容性」論だけでは、商業ライセンスや市場競合の場面で十分でないことは明確になった。ここで保護されているのは、原著作者の抽象的利益ではなく、かなり具体的なライセンス市場である。なお、この紛争は2024年に和解によって終結した[10]。

5 何を守ろうとしているのか――現代美術そのもの「ではない」

Deckmyn と Prince/Warhol を並べると、両者は異なる法体系に属しつつも、現代美術に対して似たメッセージを送っている。すなわち、既存作品を参照して新しい表現を作る自由は一定程度認めるが、その自由は無制限ではなく、他者の正当な利益と衝突する地点で抑制されるということである。EUではその衝突点が、パロディをめぐる人格的・社会的利益との均衡として現れ、米国では、フェアユースの四要素、とりわけ第一要素と第四要素を通じた市場代替性・商業的競合として現れる[11]。

言い換えれば、EU法は「表現の自由を認めるが、社会的に有害な結び付きや権利者利益との調整を要する」と語り、米国法は「変容的であっても、市場を奪う方向の利用には厳しい」と語っている。いずれも、現代美術に特権を与えているわけではない。守られているのは、現代美術そのものではなく一定条件のもとでの批評・風刺・再文脈化の自由である。

6 日本法への示唆――「パロディ例外」も「広いフェアユース」もない

日本法に引きつけると、この比較はさらに重要になる。日本の著作権法には、EU法のような独立したパロディ例外はなく、米国法のような一般条項型のフェアユースも存在しない。既存作品の利用が適法となる典型的なルートは、個別の権利制限規定に当てはまる場合であり、その代表が引用(著作権法32条)である[12]。

このことは、現代美術にとってかなり大きい。なぜなら、アプロプリエーション・アートやコラージュ、ミーム的再利用の多くは、日本法上の「引用」の典型例から外れやすいからである。とりわけ、(現行法下では相対的要件ではあるものの実務的には要件とされる)主従関係や(引用の)必然性は、作品それ自体が既存イメージの流用・転用を構成要素としている場合、充足が難しくなりうる。また、引用規定は翻訳には及びうる一方、翻案等の二次的利用が当然に広く許されるわけではない[13]。

加えて、日本法では著作者人格権、とりわけ同一性保持権の問題も重い。著作権法は、著作者に、その意に反して著作物を改変されない権利を認めており、権利制限規定の解釈においても人格権への配慮が必要になる。そのため、仮に一定の利用が財産権制限の枠内で議論できたとしても、作品の切除、変形、再構成が強い現代美術実践では、人格権上の問題がなお残る[14]。

したがって、日本法への示唆としては、EUや米国の判例をそのまま輸入することはできない、という点がまず重要である。Deckmyn は、日本法にパロディ例外がない以上、直接の先例にはならない。Cariou や Warhol も、日本に一般的フェアユース条項がない以上、そのまま適用可能な分析枠組みではない。もっとも、それでもなお、これらの事件は日本の現代美術実務に対し二つの重要な示唆を与える。第一に、参照して作る表現の自由をどう制度的に位置づけるかという問題は、日本でも回避できないということ。第二に、現行法のもとでは、その自由を広く支える一般法理よりも、個別の許諾設計、契約、ライセンス、展示・販売時の権利処理の重要性が相対的に高いということである[15]。


7 ブランド保護と現代美術

(1)芸術的自由と企業によるイメージ統制

加えて、この20年の現代美術をめぐる法的緊張は、著作権に尽きるものでもない。むしろ現場感覚に即していえば、民間企業による商標・意匠・トレードドレス・ブランドイメージ保護の実践が、しばしば現代美術におけるパロディ、批評、イメージの相対化、制度批判と衝突してきた。国連人権高等弁務官事務所の文化的権利に関する特別報告者ファリダ・シャヒードは、2013年報告書 A/HRC/23/34 で、芸術的表現と創造の自由を独立の主題として扱い、その自由には芸術の創作・享受・流通だけでなく、既存の象徴や記号の「再領有(re-appropriation)」も含まれうることを示した。

こうした観点から考えると、現代美術に対する企業側の警告や差止めの問題は、単なる私法上の紛争ではなく、芸術的自由に対する萎縮効果という人権上の文脈にも接続して理解すべきだろう[16]。

(2)欧州及び日本における具体例

そのことを端的に示したのが、デンマーク出身のアーティスト、ナディア・プレスナーとルイ・ヴィトンの紛争である。プレスナーは、ダルフール危機を主題とする作品《Darfurnica》に、ぜいたく消費の象徴としてルイ・ヴィトン風のバッグを描いた。これに対しルイ・ヴィトンはオランダで差止めを求め、いったんは救済を得たが、ハーグ地方裁判所判決(2011年5月4日)はその命令を取り消し、作品中での当該使用は芸術的表現の自由との均衡において許容されると判断した。裁判所は、平均的な観者はこれをルイ・ヴィトン自身の関与表明とは受け取らず、むしろ高級ブランドが「贅沢」の象徴として使われていると理解するとみた。ここで問題になったのは、狭い意味での著作権侵害ではなく、デザイン権・ブランド表象の統制が、社会的批評を含む芸術作品にどこまで及ぶかであった[17]。

日本でも、これに近い緊張はすでに顕在化していた。岡本光博の《バッタもん》は、2010年に神戸ファッション美術館の企画展「ファッション奇譚」で展示されたが、ルイ・ヴィトン側の抗議を受けて会期途中で撤去されたことが、当時の公開報道や作家側記録で確認できる[18]。さらに本件については、筆者自身が当時、岡本光博本人から相談を受け、関係資料や経緯に関する一次情報の提供を受ける立場にあった。そのため、公開資料では見えにくい経過についても一定の把握があるが、少なくとも公表情報の範囲でも、問題が展示だけにとどまらず、図録、ポスター、ウェブ掲載物にも及んだこと、そして最終的な司法判断に至る以前の警告書それ自体が、展示空間と流通空間を狭める実効的な力を持ったことは指摘できる。ここでは、企業の知財保護実務が、現代美術の批評的実践に対してSLAPP的な機能を果たしうることが示されている[19]。

(3)米国判例が示す補助線

こうした構図は、ルイ・ヴィトンのような特定企業に特有のものでも、特定の法制度だけのものでもない。米国では、トム・フォーサイスの “Food Chain Barbie” 写真をめぐって Mattel が著作権・商標・トレードドレス侵害を主張したが、第9巡回区連邦控訴裁判所判決(2003年、Mattel Inc. v. Walking Mountain Productions, 353 F.3d 792)は、Barbie人形を用いた写真作品が「社会批評的なパロディとして高度に変容的」であると評価し、フェアユースを認めたうえで、商標・トレードドレス請求も退けた[20]。さらに、楽曲「Barbie Girl」をめぐる第9巡回区連邦控訴裁判所判決(2002年、Mattel, Inc. v. MCA Records, Inc., 296 F.3d 894)でも、Barbie という語の使用がパロディ的・表現的性格を持つことを踏まえ、商標法に基づく請求は退けられている[21]。他方で近時の米国では、連邦最高裁判決(2023年、Jack Daniel’s Properties, Inc. v. VIP Products LLC, 599 U.S. 140)に見られるように、パロディであっても、それが自己商品の出所表示として機能する場面では商標権者保護が強く働く方向も確認された[22]。現代美術そのものの事件ではないにせよ、ブランドのパロディや批評的模倣に対する法の寛容さが、近年はやや後退気味であることを示す補助線として重要である。

(4)私企業による法的圧力と芸術的自由の対立の核心

いずれにしても、現代美術とブランドの問題を著作権だけで語るのは不十分である。実際には、アーティストや美術館、キュレーターが直面しているのは、著作権侵害訴訟そのものよりも、商標権、意匠権、不正競争、名誉・信用、ブランド毀損、さらには警告書による事前萎縮を含む、より広い「イメージ管理」の法的・準法的圧力であることが少なくない。企業はブランド価値の維持を名目に、自社に不利な文脈へのロゴ、柄、商品形態の接続を拒もうとする。しかし現代美術の側から見れば、そうした記号こそが、消費社会、階級、欲望、グローバル資本主義を批評するための素材になっている。ここで衝突しているのは、単なる権利侵害の有無ではなく、誰が公共的イメージの意味づけを支配するのかという、より深い政治性を帯びた問題である[23]。

その意味で、Deckmyn、Cariou、Warhol を中心とする著作権判例の系譜に、プレスナー事件や岡本光博《バッタもん》事件、さらに Mattel や Jack Daniel’s をめぐる商標・ブランド訴訟を接続して読むことには、大きな意義がある。そもそも現代美術をめぐる法的紛争の核心は、単に「どの権利が侵害されたか」という技術的な分類を超えている場合が多い。むしろ、既存のイメージ、記号、ブランド、商品形態を素材として、批評的・風刺的・転倒的な表現を行う自由を、法秩序がどこまで支え、どこで萎縮させるのかという問題にある。現代美術の自由を考えるためには、著作権だけでなく、商標・ブランド保護と芸術的自由の衝突、そして企業による警告や差止めがもたらす実務上の沈黙の効果まで視野に入れなければならないだろう。そのことは同時に、日本の伝統文化に内在していた本歌取り、パロディ、変名、時代設定の置換といった批評的技法が、現代の法務実務と企業的危機管理のもとでどこまで維持されうるのか、という問題でもある[24]。


[1] Directive 2001/84/EC of the European Parliament and of the Council of 27 September 2001 on the resale right for the benefit of the author of an original work of art。EUにおける追及権導入の基本法源。制定日、目的、実施期限、対象作品、料率、閾値等は、EUR-Lex掲載の条文で確認できる。英国の Artist’s Resale Right はこのEU指令を受けて2006年に導入され、EU離脱後も英国国内法上維持されている。英国政府ガイダンスによれば、2023年改正により、ARRの計算基準や閾値表示は2024年4月1日以降、ユーロ建てからポンド建てに改められた。

なお、デジタルアーカイブやオンライン流通との関係では、追及権が再販売市場における著作者の分配参加を担う制度であるのに対し、EUでは別系統で、DSM指令(Directive (EU) 2019/790)が、文化遺産機関による保存複製(6条)、アウト・オブ・コマース作品のオンライン提供を可能にするライセンス/例外の仕組み(8〜11条)、そしてパブリックドメインにある視覚芸術作品の忠実複製の再独占を防ぐ14条を整備した。オンライン販売・二次流通については、EU司法裁判所大法廷判決(2019年12月19日、Case C-263/18, Nederlands Uitgeversverbond and Groep Algemene Uitgevers v Tom Kabinet Internet BV)が中古電子書籍の提供に権利消尽が及ばないとし、米国でも第2巡回区連邦控訴裁判所判決(2018年、Capitol Records, LLC v. ReDigi Inc., 910 F.3d 649)がデジタル音楽ファイルの中古再販に初売法理が及ばないとした。英国はDSM指令を一般には国内実装していない。

日本では、個別列挙型の権利制限のもとで、デジタルアーカイブをめぐる制度整備は段階的に進んだ。まず2009年著作権法改正(2010年施行)により、図書館・公文書館・博物館による情報保存のためのデジタル化が無許諾で可能となり(著作権法31条1項2号)、同年の国立国会図書館法改正(2010年施行)ではインターネット資料の取扱いが制度化された。次に2018年著作権法改正(2019年施行)では47条が改正され、美術館等が展示作品の解説・紹介のため、タブレット端末等でサムネイル画像を表示することが可能となり、2019年には全国美術館会議等と権利者団体の間で「美術の著作物等の展示に伴う複製等に関する著作権法第47条ガイドライン」が策定された。さらに2021年著作権法改正では31条が見直され、国立国会図書館による絶版等資料の個人向け送信を含む図書館等公衆送信サービスのルートが拡張された。これと並行して、2011年の「博物館の設置及び運営上の望ましい基準」ではインターネット活用が明記され、2022年の博物館法抜本改正(2023年施行)によって、博物館資料に係る電磁的記録の作成・公開が博物館の本来的業務として法的に位置づけられた(同法3条3項)。要するに、日本では、EUのような包括的なデジタル単一市場型の制度設計ではなく、著作権法上の個別例外の拡張と、博物館法・関連基準の改正を積み重ねることによって、保存、展示補助、限定的オンライン提供、制度的義務化へと進んできたと整理できる。2001年以降の日本におけるこの制度史については、筆者の寄稿「作田知樹|美術館・博物館における『デジタルアーカイブ』制度の変化──30年間のアーカイブを読み解く(2)」も参照されたい。 参考リンク: Directive 2001/84/EC(EUR-Lex条文) / Directive 2001/84/EC(EUR-Lex ELI) / Artist’s Resale Right(GOV.UK) / The Design Right, Artist’s Resale Right and Copyright (Amendment) Regulations 2023 / Directive (EU) 2019/790(EUR-Lex条文) / Tom Kabinet(EU司法裁判所大法廷判決) / ReDigi(U.S. Copyright Office summary) / 著作権法(e-Gov法令検索) / 国立国会図書館・個人向けデジタル化資料送信サービス / 文化庁・2021年改正の英語解説 / 博物館制度のこれから(文化庁) / 作田知樹|美術館・博物館における「デジタルアーカイブ」制度の変化──30年間のアーカイブを読み解く(2)

[2] 本稿の比較軸として、EU司法裁判所大法廷判決(2014年9月3日、Case C-201/13, Deckmyn and Vrijheidsfonds)と連邦最高裁判決(2023年5月18日、Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. v. Goldsmith, 598 U.S. 508)を参照。参考リンク:Deckmyn(EUR-Lex / ECLI) / Deckmyn(CURIA事件一覧) / Warhol Foundation v. Goldsmith(連邦最高裁判決PDF)。 (EUR-Lex)

[3] 追及権指令の対象作品、最低価格閾値、逓減料率等について。参考リンク:Directive 2001/84/EC(EUR-Lex条文)。 (EUR-Lex)

[4] EU司法裁判所大法廷判決(2014年9月3日、Case C-201/13, Deckmyn and Vrijheidsfonds)。パロディの本質的特徴につき、既存作品の想起、明確な差異、ユーモアまたは揶揄を要点とした。参考リンク:Deckmyn(EUR-Lex / ECLI) / Deckmyn(CURIA事件一覧)。 (EUR-Lex)

[5] 同判決は、差別的メッセージを伴うパロディについて、権利者が自作をそのメッセージと結び付けられない利益を有しうることも示した。参考リンク:Deckmyn(EUR-Lex / ECLI) / Rosati, “Why the decision in Deckmyn is broader than parody”。 (EUR-Lex)

[6] 第2巡回区連邦控訴裁判所判決(2013年、Cariou v. Prince, 714 F.3d 694)。25作品についてフェアユースを認め、5作品を差し戻したことで知られる。参考リンク:Cariou v. Prince(U.S. Copyright Office fair use summary / PDF)。 (米国著作権局)

[7] 同判決は、原作品への直接コメントをフェアユース成立の必須条件としなかった点で、アプロプリエーション・アート実務に大きな影響を与えた。参考リンク:Cariou v. Prince(U.S. Copyright Office fair use summary / PDF) / 解説記事(Herrick)。 (米国著作権局)

[8] Richard Prince の Instagram 作品をめぐる紛争群については、ニューヨーク南部地区連邦地方裁判所判決(2023年5月11日、Graham v. Prince)などが参照される。参考リンク:Graham v. Prince(U.S. Copyright Office summary / PDF) / Loeb & Loeb 解説。 (loeb.com)

[9] 連邦最高裁判決(2023年5月18日、Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. v. Goldsmith, 598 U.S. 508)。争点が Condé Nast へのライセンス利用に絞られていた点、同種の商業目的が重視された点が重要である。参考リンク:Warhol Foundation v. Goldsmith(連邦最高裁判決PDF) / U.S. Copyright Office summary。 (連邦最高裁判所)

[10] 最高裁は、判断対象があくまで特定のライセンス行為であると明示し、Prince Series 全体の創作一般には判断を及ぼしていない。なお、Warhol Foundation と Goldsmith は2024年に和解した。参考リンク:Warhol Foundation v. Goldsmith(連邦最高裁判決PDF) / Reuters, settlement report (2024)。 (連邦最高裁判所)

[11] EU側ではパロディ例外の均衡、米国側ではフェアユースと市場代替性が中心論点になっている。これは Deckmyn 判決と Warhol 判決の比較から導かれる本稿の整理である。参考リンク:Deckmyn(EUR-Lex / ECLI) / Warhol Foundation v. Goldsmith(連邦最高裁判決PDF)。 (EUR-Lex)

[12] 日本著作権法32条。法文は e-Gov 法令検索および日本法令外国語訳で確認できる。参考リンク:著作権法(e-Gov法令検索) / Copyright Act(Japanese Law Translation)。 (文化庁)

[13] 文化庁の著作権テキスト等では、引用について、公正な慣行、必要性、主従関係、出所明示などの要件が説明されている。近年版のテキストでは、「引用(第32条)」では翻訳して引用することは可能だが、翻案等の利用はできないこととされている旨も記載されている。参考リンク:著作権テキスト(文化庁・2024年版PDF) / 著作権テキスト(文化庁・2021年版PDF)。 (文化庁)

[14] 日本著作権法上の同一性保持権の問題。法文は e-Gov 法令検索で確認できる。参考リンク:著作権法(e-Gov法令検索)。 (文化庁)

[15] 契約段階での公正という別系統の論点として、EUではDSM指令20条が、当初合意した報酬が後の収益に照らして不相当に低い場合に、著作者・実演家が追加的で適切かつ公正な報酬を請求できる契約調整メカニズムを加盟国に義務づけた。これはしばしば、ドイツ著作権法32a条のいわゆる「ベストセラー条項」をEU水準で一般化したものとして説明される。ドイツでは既存の32a条 UrhG が中心的参照点となり、実装後も同条が再構成されている。オーストリアでもDSM指令実装の一環として著作権契約法が改正され、同趣旨の報酬調整規律が導入された。他方、英国はDSM指令一般を国内実装しておらず、少なくとも現行の米国連邦著作権法 Title 17 および日本著作権法には、DSM20条のような一般的契約再調整条項は見当たりにくい。視覚芸術との直接の結びつきは追及権ほど強くないが、美術家の包括譲渡、二次利用許諾、デジタル展開契約において、契約後に成功した場合の再調整可能性をどう確保するかという点で、追及権とは別の「契約段階の公正」の論点として短く触れておく意義はある。関連して、筆者のブログ記事 Fair Culture and Copyright も参照。参考リンク:Directive (EU) 2019/790(EUR-Lex条文) / ドイツ著作権法英訳(UrhG) / Germany implementation overview / Austria: The (new) Copyright Contract Law / UK government, Rights reversion and contract adjustment。 (EUR-Lex)

[16] 国連人権理事会特別報告者ファリダ・シャヒード報告書 A/HRC/23/34 は、芸術的表現および創造の自由を主題化し、その中で re-appropriation を含む芸術実践の保護の重要性に言及している。参考リンク:A/HRC/23/34(OHCHR) / A/HRC/23/34(UN Documents)。 (国連文書)

[17] ハーグ地方裁判所判決(2011年5月4日、Plesner v. Louis Vuitton)英訳資料による。英訳は unofficial translation である点に留意。参考リンク:Plesner v. Louis Vuitton judgment (unofficial English translation) / McCutcheon, comparative discussion。 (Mediareport)

[18] 岡本光博《バッタもん》の展示と撤去については、公開報道および作家側記録による。少なくとも公開情報レベルでは、神戸ファッション美術館の企画展で展示され、ルイ・ヴィトン側の抗議を受けて撤去に至った事実が確認できる。参考リンク:福住廉「民間企業による新たな検閲…」 / Pink Tentacle 報道 / Designboom 報道。 (国立国会図書館)

[19] 本文中のうち、図録・ポスター・ウェブ掲載物への影響や、警告の実務的効果に関するより詳細な認識には、筆者が当時、岡本光博本人から相談を受け、関連資料の提供を受けていたという事情がある。公開資料として確認できる範囲では、撤去の事実と、ルイ・ヴィトン側の要求が展示以外にも及んだことが作家側記録等に現れている。参考リンク:岡本光博関連公開記事の一例。 (国立国会図書館)

[20] 第9巡回区連邦控訴裁判所判決(2003年、Mattel Inc. v. Walking Mountain Productions, 353 F.3d 792)。Barbie を用いた写真作品について、フェアユースおよび商標・トレードドレス請求棄却。参考リンク:Mattel v. Walking Mountain(U.S. Copyright Office fair use summary / PDF)。 (米国著作権局)

[21] 第9巡回区連邦控訴裁判所判決(2002年、Mattel, Inc. v. MCA Records, Inc., 296 F.3d 894)。“Barbie Girl” をめぐる商標請求棄却。参考リンク:Mattel v. MCA Records(判決PDF) / 判決テキスト(Justia)。 (Core)

[22] 連邦最高裁判決(2023年、Jack Daniel’s Properties, Inc. v. VIP Products LLC, 599 U.S. 140)。パロディ的要素があっても、商標を自己商品識別子として用いる場合には通常の商標法理が働くとした。差戻後、2025年1月の判断では希釈化の点でジャックダニエル側が勝訴している。参考リンク:Jack Daniel’s v. VIP Products(連邦最高裁判決PDF) / Reuters, remand report (2025)。 (アメリカ合衆国最高裁判所)

[23] 芸術的自由と企業によるブランド保護との衝突を、単なる個別権利侵害の問題としてではなく、公共的イメージの意味づけを誰が支配するのかという問題として把握する必要があることについては、前掲[16]の OHCHR 報告書が重要な参照点となる。本稿がここで強調したいのは、著作権、商標、意匠、不正競争、名誉・信用といった複数の法領域が、現代美術に対する企業側の統制実務のなかでしばしば連動して作用しているという点である。したがって、問題の核心は、訴訟においてどの権利が主張されたかという技術的整理に尽きるものではなく、警告、差止請求、発注管理、広報判断などを通じて、批評的・風刺的・転倒的な表現が事前に抑制される構造そのものにある。参考リンク:A/HRC/23/34(OHCHR) / A/HRC/23/34(UN Documents)。 (国連文書)

[24] 本文でいう日本の伝統文化に内在する批評的技法とは、本歌取り、もじり、見立て、やつし、変名、時代設定の置換など、既存の表現・人物・出来事との距離を保ちながら、その意味をずらし、批評的に再配置する手法を指している。こうした技法は、近代的著作権法以前から、日本の文芸、芸能、視覚文化の重要な表現資源として機能してきた。他方、現代の実務では、権利侵害の成否が明確に問題となる以前の段階で、企業や発注者のリスク管理によって萎縮が生じる場合が少なくない。筆者の周囲でも、企業コミッション作品を委託されたアーティストが、ライバル企業や同一業界に属する商品、広告表現、業界慣行等を想起させる軽度のパロディや批評的参照を構想した際、法的に直ちに違法とまでは言い難いにもかかわらず、発注者側が必要以上の危機感を抱き、企画段階で修正や自粛を求める事例が現に生じている。こうした現象は、訴訟や正式な警告書の有無だけでは把握しきれず、委託、助成、展示、広報の各段階において生じる予防的自己検閲または予防的他者検閲の問題として捉える必要がある。


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