ChatGPTで専門家審査を覆せるのか――NEH助成一括取消し判決が示した文化助成の独立
- Arts&Considerations Tomoki Sakuta

- 2 時間前
- 読了時間: 19分
米国の文化・学術助成をめぐって、専門家審査の制度的な意味を考えるうえで重要な判決が出ています。
2026年5月7日、ニューヨーク南部地区連邦地裁は、American Council of Learned Societies v. National Endowment for the Humanities/The Authors Guild v. National Endowment for the Humanitiesにおいて、全米人文科学基金National Endowment for the Humanities(NEH)が2025年4月に実施した1,400件を超える助成の一括取消しについて、第一修正および第五修正の平等保護原則に反し、さらに法定権限を逸脱したものだと判断しました。
判決は143頁に及びます。注目を集めたのは、政府効率化を担当するDOGE関係者が、助成案件を選別するためにChatGPTを使用していたという事実です。
この事件では、AI利用の適否以上に、専門家による審査を経て採択され、すでに実施段階に入っていた助成を、政治的な基準によって一括して再評価し、取り消すことが許されるのかが争われました。判決が扱ったのは、政府助成における裁量、表現の自由、行政権限、専門家審査の関係です。
1,400件を超える助成が数日間で取り消された
NEHは、研究者、大学、博物館、図書館、歴史資料保存機関、映像制作者などを対象として、人文学に関する研究や教育、保存、公開事業を支援する連邦機関です。
2025年4月1日から3日にかけて、NEHの助成を受けていた1,400件を超える事業に、ほぼ同一内容の取消通知が送付されました。対象となったのは、個人研究、教育プログラム、歴史資料の保存、施設整備、ドキュメンタリー制作など、性質の異なる多数の事業でした。
取消しの対象となった助成は、議会が承認した1億ドルを超える資金に及びます。判決は、この一括取消しを、1965年のNEH設立以来最大規模の採択済み助成の取消しと位置付けています。
American Council of Learned Societies、American Historical Association、Modern Language Association、Authors Guild、個々の助成受給者らが提訴し、二つの訴訟が併合して審理されました。
ChatGPTによる「DEI関連」の分類
訴訟を通じて明らかになったのが、DOGE関係者による助成選別の過程です。
担当者は、NEHが作成した表計算シート上の短い事業説明をChatGPTに入力し、その事業が「少しでもDEIに関係するか」を回答させていました。
使用されたプロンプトは、概ね次のようなものでした。
「次の内容は少しでもDEIに関係するか。120文字未満で事実に即して答え、「Yes」または「No」で始め、短い説明を付けよ。」
しかし、DEIという言葉の定義は示されず、担当者自身もChatGPTがDEIをどのように理解しているか把握していませんでした。事業の方法論、学術的意義、申請書本体も入力されていません。
ChatGPTが出力した「DEIに関係する理由」は表計算シートに組み込まれ、助成取消し候補の選定に利用されました。担当者がAIの判定を個別に検証し、誤りを修正したことを示す事例も確認されなかったと、裁判所は認定しています。
ホロコースト下のユダヤ人女性の強制労働を扱う映像事業、アインシュタイン関係資料の整理、空調設備の更新なども、「周縁化された声」「多様な観客へのアクセス」といった理由でDEI関連に分類されました。こうした具体例は、判決本文に加え、American Historical Association(AHA)が2026年7月に提出した連邦助成規則案に対する意見書でも整理されています。
政府には助成制作を決める権限がある
助成制度を設ける政府には、あらゆる活動に資金を提供する義務が課されているわけではありません。議会や行政機関は、制度の目的、対象分野、応募資格、評価基準を設定できます。限られた予算を配分する助成制度では、一定の価値判断も避けられません。
この問題について、米国最高裁は1990年代のいわゆる「文化戦争」における有名裁判例でもある1998年のNational Endowment for the Arts v. Finley判決で、芸術助成において「芸術的卓越性」「芸術的価値」に加えて、一般的な品位や国民の多様な信条への配慮を考慮させる法律を、文面上は違憲としませんでした。
Finley判決は、助成判断に一定の裁量が伴うことを認めています。一方、その裁量が特定の見解を排除する目的で行使された場合まで容認したものではありません。
今回のNEH判決も、政府が助成プログラムの政策目的を定め、資源を配分する権限を認めたうえで、その権限は第一修正による制約を受けると整理しました。
政府は、今後募集する助成の重点分野を変更したり、新たな政策目的に対応した助成プログラムを設けたりできます。しかし、特定の思想や歴史認識に反対することを理由として、すでに採択された民間の研究・表現活動への助成を撤回することはできない、という判断です。裁判所は、Finley判決も、政府に見解差別を行う裁量までは認めていないと説明しています。
2025年秋号のPrinceton Legal Journalに掲載されたSophia Zuoの論考“Beauty, Decency, and the Constitution”は、Finley判決と1990年代の文化戦争を振り返っています。
学生編集媒体であるため法学研究としての位置付けには留保が必要ですが、現在のNEA・NEHをめぐる政策と過去の判例を接続する導入資料になります。
「DEIに関係する」という分類は「見解差別」である
連邦地裁は、今回の取消しを「違憲な見解差別の教科書的事例」と評価しました。
人種差別、ジェンダー、先住民、ホロコーストなどを研究対象とすることと、その研究が特定の政治運動を支持することは同じではありません。しかし、取消しの過程では、歴史的不正義を記録すること、少数者の経験を取り上げること、多様な視点へのアクセスを提供すること自体が「DEI」として扱われていました。
たとえば、ホロコースト期のユダヤ人女性の強制労働を扱うドキュメンタリー事業は、女性に対する暴力や見過ごされてきた歴史を扱い、「周縁化された声を拡大する」ことを理由として、DEI関連に分類されました。
裁判所は、これは事業の学術的な質や法定要件への適合性を評価したものではなく、迫害されたユダヤ人女性の声を記録しようとする「視点」自体を取消理由としたものだと指摘しました。
さらに、取消しの対象は「バイデン政権期の助成」として整理されていました。裁判所は、助成を受けた時期によって受給者を前政権との政治的関係に結び付けることも、許容されない政治的結社に基づく差別に当たると判断しています。
この判決の第一修正上の位置付けについては、John R. VileによるThe First Amendment Encyclopediaの判例解説が、Finley判決、政府言論、違憲な条件の法理などとの関係を簡潔に整理しています。
「ChatGPTが判断した」というだけでは責任回避できない
政府側は、「見解に基づく分類を行ったのはChatGPTであり、政府ではない」という趣旨の主張も行いましたが、裁判所はこれを明確に退けています。
DOGE関係者がAIツールを選び、質問文を設定し、評価に用いる基準を定め、その出力を採用して取消しに使用しました。こうした過程を踏まえれば、政府とChatGPTを憲法上別の主体として扱うことはできないという判断です。
判決は、ChatGPTを「この事業のために政府が選択した道具」と表現し、AIの利用は推定上違憲となる行為を免責せず、政府に自由裁量を与えるものでもないと述べています。つまり、AIを介在させても、政府の行為が憲法上の審査を免れることはありません。
この部分は、行政における生成AI利用を考えるうえでも重要です。AIが出力した分類や推奨に基づいて行政判断が行われた場合、行政主体は「AIが判断した」と説明して責任を回避できません。入力する情報の範囲、質問の設計、分類基準、検証方法、最終決定者の関与まで含めて、政府の意思決定過程として司法審査の対象になります。
他方、この判決は、助成審査へのAI利用を包括的に禁止したものでもありません。問題とされたのは、結論を誘導する質問、曖昧な分類基準、短い事業説明だけを使用した判定、専門家による検証の欠如、そしてその結果を政治的な一括取消しに利用した一連の過程です。
今回の判決を手がかりにすると、行政機関がAIを利用する場合には、少なくとも、次の事項を明確にするべく検討する必要があると言えます。
AIを利用する業務の範囲
入力に使用する資料
プロンプトと分類基準の記録
出力を検証する責任者
AIの出力と最終的な行政判断との関係
判断理由の記録と対象者への提示
差別的な分類や政治的選別を防ぐ監査手続
平等保護とDOGEの権限逸脱(濫用)
連邦地裁は第一修正に加えて、第五修正の適正手続条項に含まれる平等保護原則にも違反すると判断しました。ChatGPTが作成した分類理由には、事業が特定の人種、民族、宗教、性別を扱っていることを理由としてDEIに該当させるものが多数含まれていました。
裁判所は、政府が人種や性別などに基づく明示的な分類を使用したと認定し、厳格な司法審査に耐えないとしました。判決によれば、数百件の分類理由が、特定の人種、民族、宗教、ジェンダーを扱っていること自体を根拠としていました。
もう一つの柱が、DOGE関係者の法的権限です。
NEHの助成制度は連邦法に基づいて設置され、専門家によるピアレビュー、専門職員による検討、National Council on the Humanitiesによる審査と勧告、NEH委員長による最終判断という制度上の手続を通じて運営されます。
裁判資料によれば、通常の申請は複数段階の専門的評価を経て委員長に到達し、歴代の委員長は90%を超える割合で審議会の勧告を受け入れてきました。
連邦地裁は、DOGE関係者にはNEH助成を選別し、取消しを指示する法定権限がなかったと判断しました。形式上はNEH名義の取消しであっても、実際の選定と指示を権限のない主体が行っていた以上、権限逸脱、すなわちultra viresに当たるという結論です。判決は一括取消しを違法、違憲、権限逸脱であり、法的効力を持たないと宣言しました。政府に対して取消通知を撤回し、同じ理由によって助成を再度取り消すことを禁じる恒久的差止命令も出しています。
ただし、判決は直ちに助成額の全額を支払うよう命じたものではありません。NEHが法律、助成条件、憲法に従って個別に助成を管理し、適法かつ個別的な理由に基づいて将来の措置を講じる権限は残されています。
政府側は2026年7月7日、第2巡回区連邦控訴裁判所に控訴しました。今後、第一修正、政府助成、行政権限に関する地裁の判断が上級審でどこまで維持されるかを確認する必要があります。控訴後の状況については、ACLSの2026年7月8日付アドボカシー・アップデートや、Publishers Weeklyの報道で確認できます。
NEH事件は連邦助成全体の問題につながる
この事件の影響は、取り消されたNEH助成の回復に限られていません。2026年5月29日、行政管理予算局Office of Management and Budget(OMB)は、連邦政府の助成全般に適用される統一規則の改正案“Regulation for Federal Financial Assistance”を公表しました。
NEA、NEH、IMLSを含む多数の連邦機関が対象となる、108頁の規則案です。連邦官報上の文書番号は2026-10817、引用表記は91 FR 32198、意見募集のドケット番号はOMB-2026-0034です。
American Historical Association(AHA)は7月8日、この改正案に反対する意見書を提出したことを公表しました。AHAが特に問題視したのは三点です。
第一に、すべての裁量的助成について、交付前に上級政治任用者が審査し、大統領の政策的優先事項との整合性を確認する仕組みです。
AHAは、政治任用者による追加審査が、各機関の専門職員と専門家審査によって構成されてきた既存の助成手続を弱めると指摘しています。
第二に、交付時には適法であった助成でも、後に「プログラムの目標」「行政機関の優先事項」「国益」に合致しなくなったと判断されれば、途中で終了できる仕組みです。
現行の統一ガイダンスでは、助成の終了は、受給者による条件違反、当事者間の合意、個別の法的根拠などに限定されています。規則案は、採択後に行政機関の政策的優先順位が変化したことを理由として、助成を終了できる余地を広げます。
第三に、助成プログラムの設計に「国内優先の枠組み」と「米国の国益」という、定義の明確でない基準を導入することです。
AHAは、こうした不明確な基準が、国際共同研究、海外資料へのアクセス、研究者交流を伴う人文学研究を不安定にすると論じています。
AHAによれば、政治任用者による追加/再審査は、議会によって設けられた各機関の専門職員と専門家審査によって構成されてきた助成手続きを弱める可能性があります。また、いったん採択された助成を後から政権や行政機関の現在の優先順位によって終了できる制度は、長期的な研究、雇用、資料利用契約、聞き取り調査などを不安定にします。助成の安定性は、受給者に付与される追加/副次的な利益ではありません。研究者や団体が複数年の事業を成立させるための基礎的な条件です。採択された助成を前提として、研究者は勤務先からの休職、大学院生や職員の雇用、アーカイブへの利用申込み、調査対象者との契約、機材や会場の手配などを行います。政策変更のたびに助成を終了できる制度では、これらの契約や人的関係を安定して構築できません。
NEH事件では、政治的な再評価と一括取消しが裁判所によって違法とされました。OMB規則案は、その種の政治的関与を、連邦助成全体の通常手続として制度化する可能性を持っています。したがって、NEH判決とAHA意見書は一体として読む必要があります。
日本では、あいちトリエンナーレで問題が残された
米国憲法の第一修正を、そのまま日本の文化助成行政に適用することはできません。
日本では、憲法上の表現の自由、行政裁量、平等原則、補助金適正化法、交付要綱、行政組織内部の権限配分などを、それぞれの制度に即して検討する必要があります。
専門家審査後の行政判断という点では、あいちトリエンナーレ2019に対する文化庁の補助金全額不交付決定が想起されます。
文化庁は、専門家による審査を経て採択されていた事業について、展覧会開催中の事情や文化庁への申告の問題を理由として、2019年9月に補助金を全額不交付としました。
愛知県は不服申出を行い、訴訟も辞さない姿勢を示しましたが、その後、申請額を変更して不服申出を取り下げました。文化庁は2020年3月、減額された補助金を交付しています。
結果として、あいちトリエンナーレの具体的事案において、専門家審査後の行政的・政治的な再判断がどこまで許されるのかは、司法の場で検証されませんでした。
「宮本から君へ」訴訟と専門家判断
その後、映画『宮本から君へ』の製作活動に対する助成金の不交付決定をめぐる訴訟で、文化助成における行政裁量について最高裁判決が出ています。
この事件では、外部有識者からなる芸術文化振興基金運営委員会と、その下の部会・専門委員会による審査を経て、映画の製作活動に対する助成金の交付が内定していました。
その後、出演者の一人について薬物犯罪による有罪判決が確定したことを受け、日本芸術文化振興会理事長が、「国の事業による助成金を交付することは、公益性の観点から適当ではない」として助成金を不交付としました。
第一審が明示した専門家評価の位置付け
東京地方裁判所の第一審判決は、助成金の交付判断について理事長に一定の裁量があることを認めました。
一方、交付内定までの制度について、創作性や芸術性を的確に判断するためには各分野の専門家による評価が不可欠であり、芸術団体が社会の無理解や政治的圧力によって自由な表現活動を妨げられてきた歴史も踏まえ、専門家が行った評価を尊重することが求められると述べています。
さらに、交付内定後の事情変更や不正行為などの取消事由が具体的に定められ、特段の事情がない限り内定判断が維持される仕組みを通じて、専門的知見に基づく判断が尊重されていると整理しました。
第一審では、専門家評価が事実経過の一部として扱われたにとどまりません。専門的な審査を経た内定を、最終決定権者が別の理由によって覆す場合の裁量を統制する制度的要素として位置付けられています。
最高裁が示したのは公益判断の限界
東京高等裁判所は第一審判決を取り消し、不交付決定を適法としました。
これに対して、最高裁判所は2023年11月17日、控訴審判決を破棄しました。
最高裁は、どのような活動を助成対象とすべきかを適切に判断するには芸術等の実情に通じている必要があるとして、交付判断が理事長の裁量に委ねられていることを認めました。
また、芸術的観点から助成対象とすることが相当とされた活動であっても、助成金を交付することで一般的な公益が害されると認められる場合には、その事情を考慮できるとしています。
ただし、表現内容に照らして公益が害されるという理由による不交付が広く行われれば、基準が不明確になり、助成申請や表現内容に萎縮的な影響が及びます。
最高裁は、こうした不交付が助成制度の目的を害し、芸術家の自主性や創造性を損ない、表現の自由の保障の趣旨に照らしても看過できないと指摘しました。
そのうえで、表現内容との関係で一般的な公益が害されることを不交付理由として重視できるのは、その公益が重要であり、かつ、その公益が害される具体的な危険がある場合に限られるという判断枠組みを示しました。
最高裁が一般的な法理として中心に置いたのは、専門家審査結果の尊重そのものより、表現内容と結び付いた公益を理由とする不交付の裁量統制です。
それでも、最高裁は具体的な判断において、理事長が基金運営委員会の答申を受けて交付内定をしていたこと、映画を助成対象とした判断が芸術的観点から不合理とはいえないことを確認しています。先行する専門家審査は、最高裁の結論を支える前提になっています。
評釈が示す「最終決定権」と「専門的判断」の区別
横大道聡教授による「『宮本から君へ』最高裁判決――最二小判令和5・11・17」は、交付内定の審査、基金運営委員会の議を経ることの趣旨、最終的な交付決定を分けて検討しています。
この整理からは、専門家審査について、申請内容の芸術的な価値を評価する方法に加え、専門家組織と最終決定権者との役割を配分する制度として検討する必要が見えてきます。
この点を行政法の観点から詳しく分析しているのが、鈴木崇弘准教授の「補助金不交付決定の裁量審査――最二小判令和5年11月17日民集77巻8号2070頁を素材として」です。
鈴木論文は、助成金の交付に関する法的な裁量が理事長に帰属することと、その裁量行使の前提となる実質的な判断を誰が担うのかを区別します。
法令上、交付決定を行う主体は理事長です。一方、業務方法書、基金運営委員会規程、交付要綱による制度では、芸術的観点からの審査を基金運営委員会、部会、専門委員会が実質的に担い、事情変更や不正行為などに関する判断を理事長が担うという役割分担が設けられていると分析します。
鈴木論文によれば、最高裁が、理事長は基金運営委員会の答申を受けて内定を行い、映画を助成対象とする判断が芸術的観点から不合理ではないと述べた部分も、専門家組織が芸術的判断を実質的に担うことを前提にしています。
この区別は、司法審査において誰の判断過程に着目すべきかにも関係します。
芸術的・専門技術的な評価が問題になる場合には、それを実質的に担った専門家組織の判断過程を検討する必要があります。一般的な公益の考慮や重み付けが問題になる場合には、最終決定を行った行政庁の判断過程が対象となります。
『宮本から君へ』事件で直接争われたのは、映画を助成対象とした芸術的評価の合理性ではありません。専門家審査による評価を前提としたうえで、薬物乱用防止や助成制度に対する国民の理解という一般的な公益を、理事長がどこまで重視できるかが争点でした。
NEH事件との違い
『宮本から君へ』事件では、交付内定後に発生した出演者個人の事情を理由とする不交付が問題になりました。
あいちトリエンナーレでは、展覧会の開催過程で発生した事情や、文化庁への情報提供の在り方が不交付理由として示されました。
NEH事件では、法定された専門家審査を経て採択され、すでに実施段階に入っていた1,400件を超える助成が対象になっています。
それらを、法定の審査権限を持たない政治部門の関係者が、政権の方針に基づく分類と生成AIを用いて一括して再評価し、取り消しました。
個別事業について新たに発生した事情を検討した事案ではなく、専門家審査によって形成された多数の採択結果を、後から異なる政治的基準で置き換えようとした点にNEH事件の特徴があります。
助成制度を三つの段階から考える
以上を踏まえると、文化・学術助成の独立性については、少なくとも三つの段階を区別する必要があります。
1.制度目的と審査基準を設定する段階
議会や政府には、どの分野に公的資金を配分し、どのような政策目的を重視するかを決める権限があります。
政権や議会が、建国250周年、米国史、市民教育、地域文化、文化遺産保存などを重点分野とすることは、政策判断の領域に含まれます。
2026年7月22日にNEHが公表した4,140万ドル、81事業の新規助成一覧も、現在の政策的重点を検証するための資料になります。
2.個々の申請を評価する段階
申請された活動の芸術的・学術的価値、方法、実現可能性、分野における意義などを評価するには、専門的知識が必要です。
専門家審査は、申請を評価する方法であると同時に、個別案件の判断を日常的な政治判断から一定程度切り離し、どの機関が専門的評価を担うかを定める組織上の仕組みでもあります。
3.採択後の結果を変更・取消しする段階
専門家審査を経て採択された事業が、政権交代や政策方針の変更によって容易に取り消されれば、審査段階で専門性を確保した意味も損なわれます。
採択後の変更や取消しについては、法的根拠、取消事由、個別的な検討、理由の提示、異議申立ての機会を整備する必要があります。
専門家審査による評価が最終決定権者をどの程度方向付けるのか。事情変更、不正行為、予算上の事情、公益上の危険、政策方針の変更をどのように区別するのか。ここまで含めて、助成制度の独立性を検討する必要があります。
専門家審査を誰が守るのか
文化・学術助成の独立性は、審査委員に専門家を選任するだけでは確保できません。
審査基準の公開、審査記録の保存、専門家組織と最終決定権者との役割分担、採択結果を変更する場合の理由提示、取消事由の限定、異議申立て手続、AI利用時の検証責任を組み合わせる必要があります。
NEH事件は、専門家審査を経た多数の助成が、短期間の政治的判断と生成AIによる分類によって覆された事例です。地裁判決が上級審でどのように評価されるかは未確定です。
それでも、この事件が示した制度上の問題は明確です。
制度の目的を誰が決めるのか。
個々の案件について、どの機関が専門的評価を担うのか。
専門家の評価と、最終決定権者による公益判断をどのように関係付けるのか。
いったん採択された結果を、誰が、どのような理由と手続によって変更できるのか。
専門家審査を政治部門と文化・学術領域の間に置かれた制度的な仕組みとして機能させるには、審査時の専門性と、採択後の安定性の双方を支える制度が必要です。
参考情報
NEH助成取消し事件
U.S. District Court for the Southern District of New York, American Council of Learned Societies v. National Endowment for the Humanities / The Authors Guild v. National Endowment for the Humanities, Opinion and Order, May 7, 2026.
American Historical Association, “AHA Submits Comment Seeking to Prevent Politicization of Federal Grantmaking”, July 8, 2026.
American Historical Association, Comment on Regulation for Federal Financial Assistance, Docket OMB-2026-0034, July 2026.
Office of Management and Budget et al., “Regulation for Federal Financial Assistance”, Proposed Rule, 91 FR 32198, May 29, 2026.
John R. Vile, “American Council of Learned Societies v. National Endowment for the Humanities”, The First Amendment Encyclopedia, June 30, 2026.
American Council of Learned Societies, “July 8, 2026 Advocacy Update”, July 8, 2026.
Publishers Weekly, “NEH Appeals Orders to Reinstate Grants”, July 8, 2026.
National Endowment for the Humanities, “NEH Announces $41.4 Million for 81 Humanities Projects”, July 22, 2026.
米国の政府助成と表現の自由
U.S. Supreme Court, National Endowment for the Arts v. Finley, 524 U.S. 569, 1998.
Sophia Zuo, “Beauty, Decency, and the Constitution: Analyzing the Constitutionality of Federal Funding of the Arts in National Endowment of the Arts v. Finley”, Princeton Legal Journal, Vol. 4, Issue 2, Fall 2025.
「宮本から君へ」助成金不交付訴訟
東京地方裁判所「助成金不交付決定処分取消請求事件」令和元年(行ウ)第634号、令和3年6月21日判決。
東京高等裁判所「助成金不交付決定処分取消請求控訴事件」令和3年(行コ)第180号、令和4年3月3日判決。
最高裁判所第二小法廷「助成金不交付決定処分取消請求事件」令和4年(行ヒ)第234号、令和5年11月17日判決、民集77巻8号2070頁。
横大道聡「『宮本から君へ』最高裁判決――最二小判令和5・11・17」有斐閣Onlineロージャーナル、2024年3月22日、YOLJ-L2402009。
鈴木崇弘「補助金不交付決定の裁量審査――最二小判令和5年11月17日民集77巻8号2070頁を素材として」『法政研究』91巻4号、2025年、119–149頁。
あいちトリエンナーレ2019
文化庁「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」2019年9月26日。
文化庁「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」2020年3月23日。



