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「NCAPER」20周年から学ぶ:日本の芸術・文化業界がいま構想すべき『協調的セーフティネット』

  • 執筆者の写真: Arts&Considerations Tomoki Sakuta
    Arts&Considerations Tomoki Sakuta
  • 15 時間前
  • 読了時間: 25分

文化芸術業界に長い方でも「NCAPER」ことNational Coalition For Arts' Preparednessの名前を初めて聞く方が多いでしょう。直訳すると「全米芸術準備連合」ですが、もうすこし砕いて「全米芸術準備・緊急対応連合」と言うと少し想像しやすくなるかもしれません。

2026年3月に設立20周年を迎えたこの団体は、アメリカの芸術セクターにおける「災害のためのセーフティネット」のつくり方そのものを変えてきた存在で、20周年の区切りを迎えたいま、全米の文化政策関係者から改めて注目され、言及されています。SNS上でも、NCAPERの20周年は文化団体や州芸術機関がシェアするかたちで拡散されており、NCAPERが単なる一団体ではなく、「危機のたびに頼りにされる、芸術セクターの共通基盤」として認知されていることを物語っています。


2005年のハリケーン・カトリーナとリタの被害とするボランティアベースのタスクフォースとして始まったNCAPERは、この20年で、単発の救済基金から「全国規模の中間支援インフラ」へと姿を変えました。その歩みはNASAA(全米州芸術機関協議会)のニュースレターNCAPER自身のブログでも紹介されています。


日本に目を転じると、自然災害の頻度も密度も高い国であるにもかかわらず、災害や危機に直面したアーティストや芸術団体を支える分野横断的な中間支援ネットワークは、まだ十分とは言えません。公益社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)が2024年5月に公開した「実演芸術振興フォーラム 調査報告書(2023年度)」の概要版(PDF)を見ても、平時の文化政策は、作品制作や公演実施への助成には一定の厚みがある一方で、危機時の損失補填、申請伴走、生活保障、事業継続計画、地域防災ネットワークとの接続といった層は薄いままです。


NCAPERが2006年から進めてきたのは、まさにここでした。この20年、アメリカの芸術セクターはハリケーン、山火事、パンデミックといった度重なる災害を通じて、NCAPERを中核に「分散ネットワーク型のセーフティネット」を少しずつ育ててきました。2024年のFEMA(米国緊急事態管理庁)の個人支援制度改正に見られるように、アーティストを含む自営業者の「仕事道具」まで、緊急時の個人支援の対象を広げていくような制度改革にも、NCAPERや連携団体による継続的なロビー活動とエビデンス提示が影響を与えています。


その一方で、日本では新型コロナ禍での関係者の大変な尽力(本当に頭が下がります)を通じて「文化芸術活動の継続支援事業」「ARTS for the future!(AFF)」が生まれ、舞台芸術分野では緊急事態舞台芸術ネットワーク(JPASN)や日本実演芸術福祉財団が誕生しましたが、視覚芸術については日本美術家連盟や、同連盟と連携した臨時の認証スキーム、「art for all」やアーティストユニオンなどの動きが芽吹いたものの、全体を束ねるNCAPER型の全国ネットワークには至っていません。


本稿では、こうした現状を踏まえつつ、主に(営利・非営利を問わず)芸術・文化業界の経営層の方々に向けて、NCAPERの20年が示す「セーフティネットの構造」と「政治・行政への働きかけの技法」を整理してご紹介します。同時に、日本の現状もコンパクトにまとめ、NCAPERの歩みが今後日本側でどのように応用可能かを考えていきたいと思います。


NCAPER20年が示すもの——「調整されたセーフティネット」が生まれるまで


NCAPER(National Coalition for Arts’ Preparedness and Emergency Response)は、2026年3月に設立20周年を迎えました。 2005年のハリケーン・カトリーナ/リタ後、アーティストと芸術団体が他産業に比べて過小に扱われ、災害支援制度から取り残されていたという危機感から、ボランティア的なタスクフォースとして立ち上がり、その後、全米の芸術・文化機関、基金、専門支援組織を結びつける中間支援ネットワークへと発展してきました。


公式ウェブサイトの20周年記念記事「Twenty Years of NCAPER: An Anniversary and an Invitation」では、この活動の出発点が「災害時に芸術分野を支える協調的なセーフティ・ネットの欠如」にあったこと、言い換えれば、行政の災害支援と芸術現場をつなぐ翻訳者・ハブが不在だったという問題認識が語られて、これまでの被災地支援と制度改革の蓄積を振り返りつつ、「次の20年」に向けて新たなパートナーの参加を呼びかけるメッセージの形を取っています。

また、この記事を外部から紹介したNASAA(全米州芸術機関協議会)の「NCAPER Marks 20 Years of Service: 2006–2026」は、州芸術機関の立場からNCAPERの存在意義を位置づけ直し、各州レベルのレジリエンス戦略とNCAPERの連携を強調するとともに、この20年間のNCAPERが、当初の「単発の危機対応」から、レジリエンス強化やアドボカシーまでを含む「全国的インフラ」へと進化した過程を、「反応型」から「構造型」への転換として描いています。


現在のNCAPERの役割は、単なる緊急助成の窓口にとどまりません。FEMA(米国連邦緊急事態管理庁)やSBA(米国中小企業庁)の制度を芸術家向けに翻訳する「An Arts Field Guide to Federal Disaster Relief」(全米の芸術アドボカシー組織American for the Artsによる紹介記事も)のようなツールの開発、「dPlan|ArtsReady」(美術館、図書館、文書館(アーカイブ)、舞台芸術団体といった文化芸術機関に特化して設計された、包括的なオンラインの災害対策(Preparedness)および対応(Response)ツール)と連携した平時の備えの支援Response Facilitation Callsによる災害後の現地対話の場づくりCERF+MusiCaresなど各分野の専門支援組織へのブリッジ、さらにはFEMA個人支援制度の改正に代表される制度改善への政策提言に至るまで、多層的な機能を担っています。これらが具体的にどのようなネットワークとして機能しているのか、後ほど、次節の『四層構造』で詳しく見ていきましょう。


重要なのは、NCAPERは行政の下請けとして一元的に支援を配分するのではなく、芸術分野の知見をもつ機関が分散的に結びつくネットワーク構造をとることで、有事に柔軟かつ的確に機能している点です。


NCAPER自身がまとめた「Artist Recovery Resources」(PDF)では、 ・482名を超えるクリエイターがResponse Facilitation Callsなどを通じた支援につながったこと、 ・16州とコロンビア特別区、プエルトリコでCrisis Analysis and Mitigation(CAM)コーチが展開していること

が報告されており、分散ネットワーク型の継続的な支援体制が構築されつつあります。


プロジェクト単位の資金助成終了時の恒久化の受け皿にも


NCAPERは、単なるネットワーク構築にとどまらず、有意義なプロジェクトを恒久化するための「受け皿」としても機能しています。その象徴的な事例が、2026年1月にNCAPERの旗艦プログラムとして統合された「Performing Arts Readiness(PAR)」の継承です。

PARは2017年からアンドリュー・W・メロン財団(The Andrew W. Mellon Foundation)などの支援を受け、舞台芸術分野の緊急事態への備えを強化する「プロジェクト」として多大な成果を上げてきました。

しかし、米国の助成財団による支援には通常、数年単位の期限(グラントサイクル)が存在し、こうしたプロジェクト単位の事業は常に資金サイクルの終了による存続の危機と隣り合わせにあります。PARのようなプロジェクトでもこの例外ではなく、助成期間の区切りを迎えましたが、それににあたりNCAPERは、同事業を2026年1月1日付で「自らの旗艦プログラムとして」引き継ぎました。

こうして「受け皿」となったことにより、NCAPERは、PARが培ってきた、緊急時への備えとレジリエンスの貴重なノウハウは散逸することなく、むしろ恒久的な制度へと昇華されました。そればかりか、NCAPERはPARを自らの組織内に統合することで、舞台芸術に特化していたPARのノウハウを、舞台芸術の枠を越えて個人アーティストや視覚芸術、メディア/電子芸術、文学などより広範な分野のアーティストを守るための共有資産へとスケールアウトさせるための強固な基盤を提供した、といえるでしょう(NCAPERによる紹介記事)。


NCAPERのセーフティネット:四層構造と業界別の支援組織


NCAPERが築いてきたセーフティネットは、大きく四層構造として捉えることができます。 ここでは、文化業界の経営層向けに、芸術ジャンル・業界別の具体的な組織も含めて整理します。


1. 連邦制度へのアクセスを開く「翻訳」レイヤー

第一層は、FEMAやSBAなど連邦制度へのアクセスを可能にする翻訳機能です。NCAPERとAmericans for the Artsが共同で作成した「An Arts Field Guide to Federal Disaster Relief」(American for the Arts側の紹介ページはこちら)は、災害救援の個人支援、公的支援、低利融資などを、アーティストや非営利芸術団体の視点から再整理したガイドです。このフィールドガイドは、どの制度が芸術団体や個人アーティストにとって現実的か、申請コストに見合うか、どの書類や証拠が必要かを判断できるよう構成されており、「制度情報へのアクセス格差」を縮める役割を果たしています。 英語とスペイン語で公開されていることも、移民コミュニティや多言語環境を抱える地域での公平性を高めるうえで重要なポイントです。


2. 平時の備えを支える「実務ツール」レイヤー

第二層は、平時の準備を支える実務ツールです。NCAPERの「Tools & Resources」には、州や地域の芸術機関向けに「Start Here: Practical Steps to Protect and Support the Arts」が用意されており、緊急管理部門との関係構築、迅速影響調査、救援助成、レディネス計画のステップが整理されています。

「dPlan|ArtsReady」は、NEDCC(全米の記録資料の保存・修復を支援する非営利組織)と、South Arts(RAO=全米を6ブロックに分けて支援を行う広域芸術支援団体のひとつ)が提供するオンラインツールで、リスク評価、重要情報の保管、対応・復旧計画の策定を支援する「業界横断のBCP(事業継続計画)プラットフォーム」として位置づけられています。ncaper+1 NCAPERはこのツールと提携し、加盟団体やパートナーに対して活用を促すとともに、トレーニングプログラムを提供しています。


3. 地域ネットワークをつくる「プレイスキーピング」レイヤー

第三層は、地域ネットワークをつくる思想と方法論です。「Cultural Placekeeping Guide」は、災害対応管理体制の外側で芸術文化だけが孤立しないように、既存の防災・緊急対応体制と接続された地域の自助・共助ネットワークを構築する考え方を提示しています。またNCAPERは、「Response Facilitation Calls」という対話の場づくりを通じて、被災地域の文化リーダー、行政、支援団体をつなぐ場を継続的に開いてきました。

ハリケーン・ハービー後には約1か月、ハリケーン・マリア後には約1年、2023年のマウイ山火事後には9か月、2024年のハリケーン・ヘリーン/ミルトン後には5か月にわたりコールが続いたとされ、このプログラムが「復旧・再建フェーズ全体に伴走する対話の場」として機能していることを示しています。

地域レベルのセーフティネットづくりとして最近の象徴的な例が、「Bay Area Arts Readiness Network(BAARN)」です。BAARNはNCAPERがPARプロジェクト(前節で紹介)等と共同で2025年初頭に立ち上げた大規模なパイロットプロジェクトで、サンフランシスコ・ベイエリア10郡のアーティストとアーティスト主導組織に対して、準備訓練、ネットワーキング、資金支援を行う枠組みとして立ち上げられました。この例にあるように、NCAPERは、BAARNのような地域ネットワークの設計と立ち上げを助言・支援する役割も担っており、これは「全国ネットワーク」と「地域のセーフティネット」を接続する重要な機能です。


4. 業界別・ジャンル別の専門支援レイヤー

第四層は、個別分野の専門支援団体との接続です。ここには、クラフト、音楽、映像、舞台芸術など各ジャンルの専門組織が含まれます。rois.ac+1

  • クラフト/工芸:「CERF+」は、クラフト/工芸系アーティスト向けに、直近の災害・緊急事態に対して3,000ドルの緊急救援助成を提供するほか、備えのための教育プログラムも展開しています。

  • 音楽:「MusiCares」は、音楽分野の従事者に対し、危機対応、予防的ケア、回復支援、ニーズベースの経済援助を提供しています。

  • パフォーミングアーツ:「Entertainment Community Fund」は、演劇、映画、テレビ、音楽、ダンス、オペラ、サーカス分野の就業者に緊急の経済支援を行っています。

  • 視覚芸術・映画等:New York Foundation for the Arts(NYFA=ニューヨーク美術財団)の「Rauschenberg Medical Emergency Grants」 は、視覚芸術、映画/映像/電子/デジタル芸術、振付分野のアーティストに最大5,000ドルの医療・歯科・メンタルヘルス緊急助成を提供しています。


これに加え、米国では美術家に特化したユニオンや職能団体(例えばNational Writers Unionや各地域の視覚芸術ユニオンが、最低報酬基準や契約条件の改善を通じて「平時の生活基盤」を整える役割を担っており、災害時には既存の組織基盤を通じた会員支援が行われます。これらはいずれ本ブログでも詳しくご紹介しようと考えていますが、美術におけるこうした中間支援機能を持つ職能団体は、セーフティネットとしても重要な役割を果たしています。


そしてNCAPERの価値は、これら多様な専門・職能別組織をばらばらに存在させるのではなく、「災害準備・対応の全国的な文脈」に接続するハブとして機能していることにあります。


政治・行政への働きかけ——FEMA支援制度改革とNCAPERの言説戦略


NCAPERは、FEMAや連邦議会に対しても、継続的なアドボカシーを行ってきました。その結果、2024年のFEMA個人支援制度改革「Individual Assistance Program Equity」

では、自営業者が災害で損傷した仕事道具、機材の修理・買い替えに個人支援を使えるよう規定が改められました。

それまでの米国の災害支援は、主に「家屋の所有者」や「企業」を前提に設計されており、個人で活動するアーティストやギグワーカーは制度の谷間に落ちがちでした。その結果、支援制度上、雇用主に求められる仕事道具は支援対象になっても、自営業者の「商売道具」は不利に扱われており、アーティストやクリエイターの機材の喪失に対する支援もありませんでした。NCAPERはこのとき前述したCERF+などの芸術系専門団体だけではなくNLIHC(全米低所得住宅連合)など住宅・貧困分野の団体と連帯し、制度改革を勝ち得ました。このときのNCAPERのロジックは「アーティストやクリエイターが、自らの機材を失うことは、住居喪失に匹敵する生計維持の危機である」というものでした。


つまり、ここでの説得手法は、「芸術の特別性」を訴えるのではなく、「自営業者」「ギグワーカー」「クリエイティブエコノミー」といった一般政策用語に自らを位置づけ直すことで、他の脆弱層と連帯しながら制度変更を迫るというものでした。外部団体であるNASAAも、NCAPERの成果を「芸術を災害レジリエンスのパートナーとして位置づけることに成功した」と評価する記事を出しており、「文化政策」だけでなく「防災・レジリエンス政策」の文脈で語ることの重要性を示しています。NCAPERの事例から学べるのは、「芸術だけの問題」として訴えるのではなく、「災害政策」「労働政策」「住宅政策」といった他領域との接点で言葉を選び、同セクターはもちろん、他セクターと連携してアドボカシーを組み立てることの重要性ではないかと考えられます。


一方、日本では、コロナ禍を通じて文化庁や議会への働きかけが活発化し、「文化芸術活動の継続支援事業」やAFF創設につながったものの、その過程や議論は十分な記録が残っているとはいえません。また、継続支援やAFFの申請・受給が首都圏に偏っていたという問題についても、地域別配分の偏りの詳細な検証の動きは、行政の公的なプロセスとして定着しているとは言い難い状況です。

なお、文化庁がコロナ禍の支援策や構造的な課題を検証するために委託した令和3年度の『新型コロナウイルス感染症の影響に伴う諸外国の文化政策の構造変化に関する研究』では、受託したニッセイ基礎研究所からは政策課題として指摘されています。また、舞台芸術・実演分野においては、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)のような統括団体が、アーティストの脆弱性に関する大規模な実態調査を実施し、政策提言につなげる「ハブ」として機能しています。


しかし、美術などの他分野や地域レベルにおいては状況が異なります。特に地方の小規模団体ほど申請リソースに乏しく、結果として補助金の恩恵が大都市圏に集中した可能性が指摘されているものの、近年立ち上がった地方の芸術団体(北海道の「HAUS (Hokkaido Artists Union Studies)」や鹿児島の「かわるあいだの美術実行委員会」、沖縄の「ヨルベ / 「アーティストの条件」企画チーム」、秋田の「trunk」、広島の「サゴリに集うひろしま有志の会」など)が連帯する動きを見せている段階に留まっています。美術分野や地方で、いまだNCAPERが行うような定点調査と損失把握をベースにしたエビデンス・ベーストな政策提言に至っていない最大の理由は、決して地方団体の能力不足ではありません。むしろ背景にあるのは、米国のNCAPERのような「資金や専門家(弁護士・研究者など)を集約して調査・提言を伴走支援する中間支援組織(インフラ)」が、日本ではセクター全体において圧倒的に不足しているという構造的な問題です。さらに、他の脆弱層と連帯しながら制度変更を迫るといった戦略性もまだ弱いといえるでしょう。芸術家を中心として立ち上がった「art for all」プロジェクトも、鑑賞アクセスや文化の裾野拡大を掲げる一方で、「有事のセーフティネット」という観点は現時点では前景化しておらず、アーティストユニオンも立ち上がったばかりで、職能団体としてのカバー率や交渉力はこれから高めていく段階です。


日本のNCAPER型の協調的セーフティネットは萌芽段階


さて、改めて日本の現状に戻ると、自然災害の頻度も密度も高い国であるにもかかわらず、災害や危機に直面したアーティストや芸術団体を支える分野横断的な中間支援ネットワークは、まだ十分には形成されていません。平時の文化政策は、作品制作や公演実施への助成には一定の厚みがある一方、危機時の損失補填、申請伴走、生活保障、事業継続計画、地域防災ネットワークとの接続といった層が薄く、NCAPERが2006年に埋めようとした「空白」が、日本では依然として大きく残っている状況です。


新型コロナ禍はそのことを極端な形で可視化しました。文化芸術推進フォーラムの2021年報告書や「芸術家等のセーフティネットに関する2万人アンケート」は、ライブ・エンタテインメント市場の約80%減といった衝撃的な数字とともに、政府統計から文化芸術分野全体の実態がほとんど見えなかったこと、そしてそのために独自調査に頼らざるをえなかったことを指摘しています。


また、視覚芸術分野について言うと、コロナ禍の時期、関係者の尽力により、日本美術家連盟と連携したかたちで、無所属系美術家に対する臨時の認証スキームが作られたものの、これはAFF申請のための一時的措置にとどまり、その後も美術分野全体をカバーする持続的なセーフティネット主体には発展していません。


この後で、日本でも舞台芸術系では先進的な取り組みが進んでいることについて説明していきますが、芸術セクター全体という視点で見ると、日本の取り組みは、NCAPERが20年かけて構築した四層構造と比べると、まだ「芽」の段階にあるといえます。重要なのは、これらをどのようにネットワーク化し、平時から「有事のセーフティネットとしての活動意義」を明確に位置づけ直していくかという点です。


コロナ禍の時限的支援制度は、何を残したか


文化庁はコロナ禍に対し、「文化芸術活動の継続支援事業」や「ARTS for the future!(AFF)」を実施しました。 AFFとその後継であるAFF2は、感染対策を講じたうえでの積極的な公演・展覧会等を支援する制度であり、キャンセル料支援も含んでいたと説明されていますが、その設計はあくまで「活動実施」を前提とした補助であり、NCAPER型の「損失・生活再建を支えるセーフティネット」とは制度目的が異なります。


また、「文化芸術活動の継続支援事業」をめぐっては、審査中案件が大量に滞留したのち、短期間で大量の不交付が出たことが2021年3月の国会質疑などで問題化しました。

文化芸術推進フォーラム側の検証や関連グラフ(PDF)によれば、申請から結果通知までの遅延や、不交付理由の不透明さが現場に大きな不安を与え、その結果、「セーフティネット」というより「審査付き助成」としての側面が強く出てしまったことが読み取れます。


さらにこれに関し、弁護士JPが報じた2024年の訴訟(文化庁のコロナ禍継続支援事業「AFF2」をめぐる訴訟)では、文化庁から諮問を受けた第三者機関である行政不服審査会が、一部イベントの不交付処分について「裁量権の範囲を逸脱し、またはこれを濫用したものとして違法」と判断したにもかかわらず、審査庁(文化庁)がその答申を採用せずに棄却したことを受け、原告側(アーティスト)が不当な処分として取消訴訟(行政訴訟)に踏み切り、現在も国を相手取った裁判闘争が続いています。


ここでは、実質的に活動の表題のみの審査であったのにもかかわらず、「安倍『国葬』反対に対する歌舞音曲と討議の集い」などの催しが、実質的にタイトルの政治性のみを理由に補助対象外とされたこと、さらに別のイベントまで波及的に対象外とされたという原告側の主張は、コロナ禍の支援制度が本来の「損失救済」ではなく「内容審査を伴う事業補助」として作用してしまった危うさを浮き彫りにしました。

原告の「太陽肛門スパパーン」は、パンクやフリージャズが混在する大編成の前衛芸術家ユニットです。30年以上にわたり、戦後日本の歴史や都市開発の問題を独自のユーモアで射抜く表現活動を続けてきました。

行政による芸術助成に一定の裁量が伴うこと自体は(裁量の逸脱の問題がつきまとうとは言え)珍しくありませんが、コロナ禍という生存の瀬戸際、緊急性が高い場面において、「実質的にタイトルのみの審査」で不交付の判断が下されたのだとすれば、それは平時の助成金不交付とは比較にならないほど深刻な問題を孕みます。なぜなら、危機時における恣意的な支援の線引きは、表現者が経済的に生き残るために公権力への一層の自己検閲や忖度を強いることになり(平時の「助成金コンペに落ちた」のとは異なり、危機時のセーフティネットからの排除は「体制に沿う表現をしないと(金銭的に)殺される」という強烈なメッセージになり得る)、結果として表現の自由への実質的な制約としてより重大な意味を持つからです。


先に見てきたように、緊急時の支援が重視するべきなのは、まず損失と再建ニーズであり、表現内容の適否ではありません。日本でも、求められるのは、創作助成と緊急救済を制度上も運用上も分ける発想であり、そのためには文化庁だけでなく、内閣府や防災担当、厚労省、総務省などとの連携を含む制度設計が必要になると考えます。


実演芸術での重要な前進:緊急事態舞台芸術ネットワーク/日本実演芸術福祉財団


とはいえ、日本側にも前進はあります。コロナ禍の危機的状況下において業界の声を束ねるハブとして緊急事態舞台芸術ネットワーク(JPASN)が2020年5月に発足し、2021年9月16日には一般社団法人化されました。この組織化にあたっては、まさに本稿で取り上げてきた、アメリカにおけるNCAPERなど、海外の芸術界における危機対応ネットワークの先行事例も念頭に置かれているものと推察します。JPASNは、舞台芸術に関わる団体・個人への支援、情報の収集・共有、政策提言を目的とし、感染予防ガイドラインの策定や相談窓口(助っ人センター)の開設などを通じて機能してきましたが、それに留まらず、常任理事・政策部会長を務める弁護士の福井健策氏らを中心としたロビー活動・政策提言等を通じて、業界の存続を支える防波堤として機能してきました。


とりわけ注目すべきは、このJPASNと寺田倉庫の共同プロジェクトとして開始され、現在では独立した組織(一般社団法人EPAD)として発展・引き継がれている「EPAD」の取り組みです。EPADの取り組みにおいて最大の壁は『複雑な権利処理』でしたが、JPASN政策部会長を務める福井健策弁護士をはじめとする専門家陣がこの体系化と基盤整備に尽力しました(福井先生はこの功績等により芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています)。


現在、EPADは「保存・継承」「情報整理・権利処理サポート」「新たなマッチング」「教育・福祉への提供」「標準化」の5つを柱に活動しています。初年度にあたる2020年度(令和2年度)の段階で早くも1,001作品の舞台映像を収集した同事業は、2023年度(令和5年度)の事業報告によればさらなるフェーズへと進み、公開に向けた数十作品の収録・権利処理サポートや、バリアフリー字幕・音声ガイド付きのユニバーサル上映会(THEATRE for ALLとの協働)などを実現させました。EPADは単なる過去の記録保存事業ではなく、危機下において散逸・消失しやすい上演記録や権利情報、作品の流通可能性を業界横断的に下支えする、極めて重要な「舞台芸術のインフラ整備」として理解すべきでしょう。


JPASNは、音楽・舞台芸術4統括団体と連携して、2022年度以来、業界横断定点調査も継続しています。2025年度調査では265件の有効回答、構成員数14,728人、売上高9,645億円以上が報告され、政策支援や規制緩和の協議に不可欠な基礎資料であると明記されています。 これは、NCAPER的なセーフティネットの前提条件である「定点調査・損失把握の仕組み」を、日本側でようやく整え始めている動きとして評価できます。

さらに、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)など14団体は、2025年7月に日本実演芸術福祉財団を設立しました。芸団協の説明によれば、この財団は実演家・スタッフを支える「互助プラットフォーム」として社会保障の基盤をつくることを目指し、まずは労災保険特別加入の業務に着手しています。ネットTAMでの紹介記事でも、同財団が単なる保険手続き窓口ではなく、安全管理や就労環境の改善、政策提言のための調査研究も視野に入れていることが指摘されており、平時から「有事のセーフティネットとしての活動意義」を意識した設計になりつつあることがうかがえます

一方で、美術分野に関しては、日本美術家連盟やアーティストユニオン、「art for all」のような動きがありながらも、依然として「全国的な危機対応ネットワーク」と呼べる段階には達していません。いま求められているのは、JPASNや日本実演芸術福祉財団との横断連携を通じて、ジャンルごとの取り組みを「協調的セーフティネット」として束ねていく視点ではないでしょうか。


芸術・文化団体の経営層が今から考えるべき「構造」のポイント


NCAPERの20年から日本が学ぶべきことは、巨額の基金をそのまま真似ることではなく、「どのような構造でセーフティネットを組み立てるか」という点です。とくに文化業界の経営層にとって重要だと思われる構造的なポイントを整理します。


第一に、危機時支援を創作助成と切り離す必要があります。NCAPERが関わる連邦支援や専門団体の緊急助成は、作品の内容や芸術性ではなく、損失と活動再開のニーズに基づいて設計されており、表現内容の審査とは別の次元で機能しています。表現内容の審査とは別の次元で、生活と活動再開を支える救済制度を設計することです。日本でも、文化団体や基金が「創作支援プログラム」と並行して、「危機時の無条件救済枠」を少しずつでも組み込んでいくことが、長期的には制度分離につながります。

先にご紹介したAFF2不交付訴訟のような事案は、危機時の支援が「内容審査を伴う助成」と混線したときにどんな歪みが生じるかを示しました。文化業界の経営層としては、今後自らが関与する基金や自主事業において、「有事の救済枠」には通常時の内容審査を持ち込まないという原則を明示し、(資金を政府や自治体から受ける外郭的な公益財団等の場合はその自治体を含む)ステークホルダーに説明するなど、芸術コミュニティとの長期的な信頼の構築につながる活動をすることを推奨します。


第二に、行政と現場のあいだに専門知をもつ中間支援組織を置くことです。NCAPERはFEMAやNEAと連携しながら、現場の声を翻訳して政策に届けつつ、複雑な制度を現場向けに翻訳する双方向の役割を果たしています。 日本でも、JPASN、芸団協、日本実演芸術福祉財団、日本美術家連盟、アーティストユニオンなど既存の団体を束ねる「災害・危機対応コンソーシアム」のような枠組みを、業界側から提案していく余地があります


第三に、地域ネットワークと分野別支援を平時からつないでおくことです。BAARNのような地域ネットワークは、NCAPERを通じて連邦レベルのリソースと接続されつつ、地域のアーティストや小規模団体の備えを支えています。 日本でも、各都道府県の文化振興財団、公共ホール、NPO、美術館・劇場等を「文化版・地域防災ネットワーク」として束ね、EPADやJPASN、日本実演芸術福祉財団と接続する仕組みを、業界側から提案できるはずです。


第四に、定点調査や損失把握を担う基礎データ基盤を育てることです。NCAPER的な支援は、被災状況や損失規模が迅速に把握されていることを前提としていますが、日本ではコロナ禍で統計やデータの不足が露呈しました。JPASNの定点調査や、文化庁・芸団協のアンケート(PDF)は、そのギャップを埋める動きとして重要であり、今後は美術、音楽、映像など他分野にも横展開していくことが求められます。こうした中間団体機能をどのように育てるか、業界単位で不十分であればむしろ全ジャンルの連合組織を先に作り、ノウハウを横展開したり、中間団体不在のジャンルにおける団体の設立を支援するといった戦略も考えられるでしょう。


おわりに——日本版NCAPERへ向けて


日本はすでに、地震、豪雨、台風、感染症、物価高騰など、文化芸術の担い手に複合的な危機が重なる社会に入っています。 そのなかで必要なのは、危機のたびに新しい補助金を急ごしらえすることだけではなく、JPASNやEPAD、芸団協、日本実演芸術福祉財団、日本美術家連盟、アーティストユニオンなどの専門組織どうしが連携し、行政とも接続された協調的セーフティネットを平時から育てていくことです。

日本は、NCAPER以前の段階を完全には抜け出していないかもしれません。しかし、その基盤になりうる芽はすでに出ています。 次に必要なのは、これらの芽を「構造」として束ね、平時の制度とネットワークとして定着させることです。 文化業界の経営層が、この視点を自らの経営戦略とガバナンスに組み込むかどうかが、次の10年の分かれ道になると考えます。



参考文献・参考URL

* NCAPER “Twenty Years of NCAPER: An Anniversary and an Invitation.”

* NCAPER “Leadership, Preparedness, and Community: Key Updates from NCAPER.”

* NCAPER “Programs / Tools & Resources / Field Guide.”

* Americans for the Arts “An Arts Field Guide to Federal Disaster Relief.”

* “Cultural Placekeeping Guide.”

* NCAPER “Artist Recovery Resources 2024.”

* CERF+ Emergency Relief Grants.

* MusiCares Get Help.

* Entertainment Community Fund Emergency Financial Assistance.

* NYFA “Rauschenberg Medical Emergency Grants.”

* Federal Emergency Management Agency / Federal Register “Individual Assistance Program Equity.”

* NLIHC “FEMA Announces Significant Changes to Individual Assistance Program…”

* NCAPER “Strengthening Local Arts Response.”

* NCAPER “Bay Area Arts Readiness Network (BAARN).”

* NCAPER Blog / SNS

* NASAA “NCAPER Marks 20 Years of Service: 2006–2026.”

* 文化庁「ARTS for the future!(AFF)」関連情報

* 日本芸能実演家団体協議会(芸団協)文化芸術推進フォーラム関連資料

「芸術家等のセーフティネットに関する2万人アンケート」

「文化芸術活動の継続支援事業」関連グラフ

* 緊急事態舞台芸術ネットワーク(JPASN)

定点調査2025・2026年関連

* EPAD

2023年度の取組報告

* 日本芸能実演家団体協議会(芸団協)「日本実演芸術福祉財団設立のお知らせ」

[https://geidankyo.or.jp/archives/5208]

* 日本実演芸術福祉財団

* 弁護士JP「AFF不交付をめぐる訴訟」

[https://www.ben54.jp/news/1367]

* 日本俳優連合・日本芸術文化振興会関連(アンケート案内)

* ネットTAM 「心おきなく文化芸術活動を続けるために」

* note「芸術家をどう支えるのか――芸団協の報告書から考える」

* 芸団協「調査研究・政策提言事業」

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