top of page

【転載】ホワイトキューブとブラックボックス ―二つの会場が象徴するもの、そして可能性(作田知樹著)

  • 執筆者の写真: Arts&Considerations Tomoki Sakuta
    Arts&Considerations Tomoki Sakuta
  • 5月29日
  • 読了時間: 14分

【書誌情報】

​収録出版物: 『Chim↑Pom展:ハッピースプリング カタログ第2巻(ドキュメント版)』

​発行年月: 2023年8月

​出版者・発行元: 美術出版社、森美術館

​担当区分: 分担執筆

​担当範囲: 論考「ホワイトキューブとブラックボックス―二つの会場が象徴するもの、そして可能性」

弊事務所代表の作田知樹が他媒体に執筆した論考を転載するシリーズ。第一弾は2022年に行われた展覧会のカタログに掲載した文章です。


​【本論考の背景と、現在の視点からの追記】


​本論考は、森美術館主催の「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」(2022年)において、筆者が現場と制度の間の「媒介者(翻訳者)」としてプロジェクトに携わった経験を背景に執筆したものである。同展の映像プログラムにおいて、筆者はパネリスト、司会、企画としての役割を担うとともに、主催者に対して出演者選定への助言、および表現の自由や権利処理に関する専門的監修・リーガルアドバイスを行なった。

​それから数年が経過した現在、本論考を当ブログに再掲するにあたり、書き添えておきたい「アイロニカルな後日談」と、私自身の視点の変化がある。


​第一に、本論考の第5章で言及している「第二会場」から配信された3つのトークプログラムについてだ。現在、森美術館のオンラインビデオプログラム(MAMデジタル・プレミアム)のアーカイブにおいて、皮肉なことにこの映像プログラムのみが「配信終了」となり、視聴不可能となっている。かつて「答えの出ない議論を続ける」ために粘り強く交渉してこじ開けたはずの扉が、プラットフォームの管理権限によって静かに閉じられてしまった事実は、本論考で指摘した「不可視にされた『展示できないもの』」の構造を、図らずも完全な形で実証してしまっている。


​第二に、Chim↑Pomというアーティストへの私自身の捉え方の変化である。彼らは美術館という制度に対し、「ストリート」の論理を持ち込み、痛快な対抗のポーズを見せた。しかし結果として残ったのは、撮影すら許されない厳重な管理空間、視聴期間が限定されたビデオ、そして(彼らの本質的な闘争の記録であったはずの)プログラムのカタログへの未収録という事実だった。


​本来であれば、こうしたアーティストの営みこそが、制度側が特権的な芸術を大衆へ分け与える「文化の民主化(Democratization of Culture)」から、多様な主体が自らの表現の権利を持ち協働する「文化民主主義(Cultural Democracy)」へのパラダイムシフトを象徴する、生きた実践になり得たはずだった。しかし、結局のところそれは制度(ホワイトキューブ)の管理体制の中に回収され、真の民主主義的実践には届かなかったのではないか――。そんなモヤモヤとした思いが、現在の私の中には沈殿している。

​以下の論考は、あの瞬間に確かに存在した葛藤の記録であると同時に、制度と表現の狭間で「文化民主主義」がいかにして阻却されるのかを示す、ひとつの症例報告としてもお読みいただけるかもしれない。


​なお、今回のブログ掲載にあたり、カタログに同時収録されていた英語版テキストについては、訳者の方との権利関係の都合上、無許可での転載ができないためあえなく削除・割愛している。展覧会の権利処理に関わった私自身のテキスト(英訳版)が、権利の壁によって自ら「展示(公開)」できないというのも、本作を取り巻く数々のアイロニーを締めくくるちょっとしたオチとして笑っていただければ幸いである(笑)。


--


​1 禁じられた区域

​本稿では、本展の「ミュージアム+アーティスト共同プロジェクト・スペース」(通称、第二会場。以下、単に「第二会場」と表記する)での展示について扱う。

​Chim↑Pom from Smappa!Group(以下Chim↑Pom)の代表作である「スーパーラット」(2006-)をめぐるアーティストと美術館の見解不一致に端を発して、西新橋に設置された第二会場を思い起こす。そこには剥製の「スーパーラット」と、渋谷の街で巨大なネズミを捕まえようとする旧作の映像、また、ある人物が虚実を取り混ぜて「スーパーラット」に自身を重ね合わせつつ語る映像(※1)があった。それだけは明確に思い出せる。他にも何かあったかもしれないが、そもそも作品名もきちんと思い出せない……というのが、私だけでなく多くの訪問者にとっても共通する体験であったのではないか。

​なぜなら、第二会場に入場する際に関係員から、中で撮影はおろかスマホでメモを取ることも許されないルールであることを知らされたからだ。鉛筆やメモ紙なども配置されておらず、自然と「この場所についての情報は外に漏らしてはいけないのかな」と感じる状況であった。そのためだろう、肝心の作品については頼りない記憶しか残っていないのにもかかわらず、先に訪れたメイン会場の森美術館内に展示されていた、映像作品《気合い100連発》(2011)にまつわる体験を重ね合わせたことだけはよく覚えている。というのも、観客による撮影が基本的に許可された会場にあって、《気合い100連発》が置かれた一角では、スマホを手にしながら映像のほうを見やっただけで、少し離れたところから目を光らせていた監視員が、無言でこちらとの距離を詰めてきたからだ。メイン会場でのこの「禁止区域」の存在は、同じ会場で展開中の開放的な《道》のインスタレーションで試みられていた、「公共空間における自由」への企てとの間で、違和感の残るものだった。

​話を第二会場に戻そう。そこでは、全面的な「スマホ規制」により、作品よりも「規制された状況」の印象だけが残った。その結果、第二会場では作品が見えにくくなっただけではない。その中で展開された作品がいかなるメッセージを発信していたとしても、「作品を見る事と引き換えに、不本意ながら規制を受容することを強いられた」という一種の挫折感が強く残った。以上が、第二会場での私自身の作品体験の偽らざる記述である。

​あえて批判的に言えば、Chim↑Pomが「芸術の自由」を追求しようとした結果として第二会場の設置に至ったことで、逆に「芸術の自由」が制度側に拝跪(はいき)してしまったのではないだろうかとさえ感じたのは事実である(だが、それで済ませなかったことは後述する)。「第二会場」が単なる妥協の産物ではなく、「答えの出ない議論の場」の意義と可能性を開いたことを記録しておかなければならない。本稿の狙いはそこにある。


​2 「芸術の自由」の二つの意味


​さて、唐突に「芸術の自由」という言葉を出したが、美術展と「芸術の自由」をめぐる問題は、クールベが権力に対する創造的な権利を主張するために「個展」のフォーマットを作った(と言われている)19世紀半ば以前から存在する。

​人が自分自身の意思に従って作品を作ること、あるいは、自作の展示を許可/拒否したりできることも含めた「芸術的選択の自由ないし芸術的決定権がある」ことを「芸術の自由」と呼ぶ。この意味では、芸術家自身が「芸術の自由」の存在や重要性を主張することに違和感を持つ人はいないかもしれない。しかし、「芸術の自由」は、「規制」や「検閲」との関係においては、やや複雑な意味を持つ。というのも、より法的用語な側面を持つ「言論・表現の自由」の一部として、基本的人権として保障されるという意味もあるからだ。「言論・表現の自由」は、近代以降に欧米で市民権を持つ個人の権利が拡張される過程で、「言論出版の自由」(1776年アメリカ、バージニア権利章典第12条)や「思想および意見の自由な伝達は人の最も貴重な権利のひとつ」(1789年フランス人権宣言第11条)などに見られるように、近代国家に共通する憲法上の人権規範となった。

​日本国憲法(1947年施行)においても、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(第21条)と明文化されている。この意味での「芸術の自由」は、「表現の自由」の一部であり、芸術家のみならずすべての人にとってのものである。


​3 二つの展示と「芸術の自由」


​ここで、本展の二つの会場の展示について、前述した「芸術の自由」のそれぞれの意味に照らし合わせてみる。

​まずメイン会場では、「芸術の自由」の二つの意味のうち「芸術家の自由な芸術的選択」に対して、作家の意図に反して代表作が展示できなかった点で制約が課されたと言える。一方で、「道」プロジェクトが象徴するように、誰もが自由に表現できる公共空間や、訪問者も含めて芸術作品や場のポリティクスに参加できることの可能性を提示したことは、二つ目の意味での「芸術の自由」を人々に意識させるのみならず、それをポジティブに扱っていた。もちろん、作品の撮影禁止という形で観客の自由を一部制限していた区画はあったものの、それはごくわずかだ。もし、その理由も、「あいトリエンナーレ2019」での騒動を踏まえた作家の意向であることが想像できた。係員から常時監視されてはいたもののスマホを取り出すこと自体が禁止されていたわけではなく、心理的なプレッシャーはさほどでもなかった。

​続いて、第二会場についても同様に当てはめてみる。あらためて、展示の様子を思い起こそう。そこでは、Chim↑Pomの自己定義としての位置づけを与えられる重要作品「スーパーラット」とそれにまつわる映像作品が、わざわざメイン会場とは別のビルの、ブラックボックス化した一室に展示されていた。訪問者は、スマホを取り出すことを規制されつつも1時間の特権的な占有時間を与えられ、じっくり見るように促されている。そこでは、かつて六本木で開催された「ブラックボックス展」(2017)のような「内容の公開禁止」という制約が課されていたわけではない。訪問後にネットなどで意見を表明していた例はあった。しかし、訪問者は故意に意見を期待したにしてもそれを表明することが積極的には促されておらず、また、係員の監視や光量を落とした会場内は、個人的には「ブラックボックス」という言葉を想起させるものだった。

​その結果、第二会場での訪問者の体験はメイン会場のそれとの間に大きなギャップが生じてしまったように思う。特に(スマホ操作の抑止を目的としていたにせよ)常時係員に監視される薄暗い密閉空間において、個人ないし少数で作品と向き合うことを強いられたことは、訪問者を萎縮させたのではないか。同時に、メイン会場で展示できなかった作品とその関連作品のみに焦点を当てることで、第一の意味での「芸術の自由」をあえてその範囲だけに矮小化しているようにも受け止められた。


​4 不可視にされた「展示できないもの」


​これと似た構造は、「芸術の自由」をめぐる美術界の議論そのものの中にもあるのではないか。わかりやすく、目立つところの既成事実だけに議論や視線が集中してしまっていて、それ以外を議論していないという点が両者の間で相似形をなしているからだ。そもそもある作家の回顧展の中で、その代表作がメイン会場に展示できないというのはかなり異常な事態だが、そのことを同業の専門家たちがほとんど指摘しないのも不自然な話である。これは「館の事情」を察知した忖度そのものだろう。だが、今回の第二会場の件のように、こうした忖度が表面化するケースは稀であり、それどころか作家が不満を表明したり、他館の学芸員や批評家がこの不自然さを指摘すること自体が少ない。「展示できない」という制約を受けても議論さえ起きないのだ。この、半ば不作為の排除を「見えない排除」と名指すと、見えてくることがある。

​実は、国内の美術館では様々な「展示できないもの」のルールが館ごとにある。その中で実際に事件として表面化するものは氷山の一角にすぎない。例えば日本じゅうにある公立美術館の大半では、地元出身などの縁がある作家なら個展は開催できない。一回でも物議をかもした作品は、国内のほとんどの場所で展示が避けられている。また、かつて国立美術館では存命中の中堅作家の個展がついに実現したその時の作家は、当時101歳の堀越千一であった。とはいえこうした問題は、公立館での展示の主体による芸術祭などのイベントの際にはまた「見える」ケースもある。大英博物館での春画展が日本に巡回する際に公立美術館での開催が断念され、やむなく民間施設で展示したケースなどは記憶に新しい。

​しかし、民間の美術館ならばより自由というわけでもなく、むしろいっそう不透明な独自の「見えない排除」が行われていることもあまり知られていない。例えば、運営母体に保険会社が関与する館の場合には、「死」や「事故」のイメージにつながる作品の展示がタブーとなっている。あるいは、過去の(犯罪とはされない)少年時代の非行によって刑事施設への入所の履歴がある作家の展示を、一方で海外作家であれば犯罪歴があっても関係なく展示するといった、一見すると一貫性を伴わないように思える「見えない排除」も行われている。

​一歩引いてみると、こうした「見えない排除」は、これまで女性やマイノリティ属性の作家が紹介されることが少なかったり、美術を学ぶ学生は女性が多いのに教える側の大多数は男性だったりと、こうした問題は「あいトリエンナーレ2019」で美術界の外から芸術監督として招かれた津田大介のイニシアチブにより「ジェンダー平等」が表明されるまでは業界自身の「見えない排除」として(少なくともそれほど目立つ形ではなかったし、同トリエンナーレ以降も「表現の不自由展・その後」の陰に隠れてしまっているように感じる)。

​なお、全国美術館会議は自らが定めた「美術館の原則と美術館関係者の行動指針」の美術館の原則4において、「美術館は、(…)人々の表現の自由、知る自由を保障し支えるために、活動の自由を持つ」と、知る自由を保障をうたい、また「日本国民は、日本国憲法によって、公共の福祉に反しない限りにおいて、また個人の諸権利を侵害しない限りにおいて、表現の自由及び知る権利(見る権利)を与えられている」(行動指針4)と表明している。だが、上記のような「見えない排除」についてのローカルなルールが業界内で議論されている状況にはない。その一方で、わいせつ表現への警察介入や、個人からクレームを受けやすい性的表現や歴史認識を含む政治的表現、パブリックアートの撤去、企業が有する知的財産権への懸念といった、「見えやすい排除」の問題は業界内からも言及されやすい。もちろんそれらの問題も重要には違いないが、「見えない排除」の深刻さが論じられることは少ない。その理由は、問題の焦点が「外部の圧力」よりも「自分たち自身」にあって、「自ら率先して変化すること」がその解決に求められるからではないかと感じる。


​5 第二会場が開いた可能性


​本稿に話を戻そう。もしも第二会場がそのまま展示だけで終わったのならば、あるいは、何らかのステートメントを出して終わりにしそれ以上の議論がなされなかったのならば(仮にそれが美術館側の意向によるものであったとしても)、状況に対して何も変化はもたらされなかったのではないか。それが、本稿の冒頭で「制度側に拝跪してしまったのではないだろうか」と述べた理由だ。いわゆる自律性をいっそう隠蔽することに加担してしまったとすら感じられたかもしれない。

​しかしChim↑Pomは第二会場を放置するという選択はせず、問題が膠着した状況にあることも隠さず、美術館とともに、第二会場が生まれたことを次なる議論につなげていこうとするアクションを取り続けた。その成果として、会期中には3つのトークプログラムが第二会場からオンラインで配信された(1.「美術館の自律性とは何か:具体的実践と課題」、2.「世界の美術界が直面する課題:社会・政治とアートの関係」、3.「表現の自由を巡る議論を開いていくために」)。筆者はこの3つのプログラムの企画に参画し、また「3」には筆者自身も話者として参加した。これらの配信は短期間に限定公開されたこともあって必ずしも開かれたものだったとは言いづらいが、メイン会場の開放感とのギャップに訪問者が違和感を感じざるをえない「第二会場」という場所が生まれたことに関する「答えの出ない議論」が粘り強く続けられたと感じた。「答えの出ない議論」という言葉は否定的に響くかもしれないが、むしろ自ら率先して変化し、業界内部の変革を実現しようとする勇気と真摯さがなければそのような議論を主導することはできない。Chim↑Pomと美術館とのネゴシエーションによりそうした場の可能性が開かれたことを、筆者自身は肯定的に捉えている。

​今回の展覧会で「アクセスしにくく、常時監視される第二会場」という複雑な構造が生まれた経緯自体をいま一度考えること、それによって見えにくくなったものは何かを考え続けること。その先に見えてくるのは、自社の知的財産を「公式グッズ」として収益化すること以外を認めない大企業の傲慢さという「見えやすい」問題だけではない。「芸術の自由」の重要性を掲げつつマイノリティを抑圧するという見えない排除を続けている可能性を顧みない、業界の自己欺瞞や、アーティストの芸術的責任の範囲とそれに対する待遇、報酬、社会的地位とのギャップなど、また「見えにくい」ままとなっている様々な問題が浮かび上がってくるだろう。

​いかに管理や監視の存在する場であっても、「答えの出ない議論を続ける」ことを避けて「自由」を考えることはできないし、その勇気を持つことのみが「自由」につながる――Chim↑Pomは、美術館との交渉の末に生み出された第二会場という場所で、そのことを改めて気づかせてくれた。今後も継続されるであろう彼らのアクションから勇気を得る人は、筆者だけではないはずだ。

© Arts&Considerations行政書士事務所 

    bottom of page