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視覚芸術の「アーティスト・フィー」

更新日:4月9日

いわゆる商業画廊ではない、公立美術館や企業スペース等での、作品販売を伴わない展覧会等でアーティストに対して直接的に作品の出品を依頼するにあたり、出品するアーティストに対し、主催者が渡航費や材料代(制作費)だけを支払い、制作や出品という労働そのものへの報酬(アーティスト・フィー)を支払わないことがある。アーティストが、新作の発表はもちろん、様々なやりとりや打ち合わせなどで発生しているにも関わらず、である。これにより、依頼を受けたアーティストがダメージを受けることも多い。こうしたケースは、昔から世界中のあちこちで起きており、かなり古い問題だが、近年再び注目を集めつつある。今になってこれが主題化してきた背景には、販売を前提としない形態の作品/活動の増加、アーティストの経済的な不安定さ(多くはギグワーカーの副業を持つ)、さらには経済格差の拡大の中で美術品の一部が資産家の節税対策(つまりは所得の再分配の潜脱手段)に使われている、ということに対する批判などが考えられる。 

先だっての9月には、このことをテーマにフィンランドの芸術機関が主催し、イギリスの全国規模の視覚芸術家向け支援情報サービスa-nなどが共催した国際イベント「Fair Pay for Artists: Exhibition Payment Symposium 2021」が開催された。

 視覚芸術の「アーティスト・フィー」について、最近国内でも議論が出つつある。しかしまだまだ弱く、実際アーティストの意思に反して支払われなかったり、ひどい例では支払いを約束していたにも関わらず後から翻されることも少なくないようだ。このあたりはアーティストが主体となってアンケート等で実際の「被害」を示すことが必要になるだろう。

 

ところで美術品の著作物若しくは写真の著作物の原作品の著作権者は、その展示公開についての権利「展示権」を有するが、著作権法第45条では、美術の著作物若しくは写真の著作物の原作品の所有者は、著作権者の許可を得ずに公に展示を行い、また所有者が許可を出して公に展示を行う場合「展示権」が働かないという権利制限を定めている。この権利制限はよく知られているものの、他方で、著作権者である視覚芸術家が所有権を持つ作品の展示については「展示権」があるため許可を得ないで展示することはできない、ということはほとんど意識されていない。そのため、著作者人格権の、未公表の著作物を公表するかどうか等を決定する権利(公表権)とセットで、美術展に出品するイコール、作品の公開に同意している、あとは何の費用が出るかどうかは契約の内容次第ということになっており、アーティストフィーの名目の支払いがなくても構わないことになっている。

しかし、本来、著作財産権である「展示権」についてはライセンス料を課しても全く不自然ではない。むしろ「展示権」のライセンス料=美術著作物の使用料として「アーティスト・フィー」を受け取る、という考え方もある。実際、前述のシンポジウムでは、フィンランドにおけるアーティスト・フィーは著作権に基づくと理解されていることが紹介されていた。

 本邦においてアーティスト・フィーが著作権に基づくものと意識されてこなかった原因の一つは、消費者契約法や下請法のような、契約自由の原則の特則として、弱い立場の契約当事者を保護する規制としての特別な契約法制度を著作権制度の中に入れてこなかったことが挙げられる。こうした法規を「著作権契約法」と呼び、例えばドイツでは現代の著作権法における5つの柱の1つに数えている。国際比較の中で、日本の著作権法ではこの「柱」が1本抜け落ちていることは10年近く前から指摘されており、今年文化庁がはじめた有識者会合「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」の第1回でも、著作権法学者の上野達弘が発言している。こうした著作権契約法の欠缺、展示権許可料を取らない慣習、そしていったん所有者が著作権者から移れば権利制限がかかって許可が不要になるという制度により、日本ではアーティスト・フィーを著作権に基づいて受け取るという感覚自体が鈍磨してしまったとも考えられる。他方で、創作者が得るべき地位や利益の擁護と公益のバランスを取ることで文化の発展を図るという、著作権制度の趣旨を考えれば、美術の作家が展示に際して展示権に基づく許可料を得るということそのものは自然に思える。

 近年、フェアユースやパロディをめぐる議論も活発になっているが、視覚芸術家はこうした議論に参加していくべきであるのと同時に、展示権に係る制度の見直しも訴えていっても良いのではないだろうか。

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